八丈太鼓 の 由来

  「 いつの頃から 誰が どのようにして 叩き始めたのでしょう ?」 

                         
       趣味の八丈島誌1937年(S12.11.) - 長久保 満    

   手がかりを掴むために・・・ 各種文献の中から
     「 良く知られている説 ・ 余り知られていない説 ・ とても珍しい説 」 等  
                       
抜き出し 大まかに分類 してみることにしました
 
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1. 宇喜多秀家が かつての戦のさまを 八丈太鼓に託し 両面打ちの太鼓が出来た
  *1983年(S.58.5.) 日本中小企業政治連盟大会での 八丈太鼓の紹介(録音)
2.
 イ 源為朝が 非常時の伝達手段として用いた陣太鼓が 元となった
  *1982年(S.57.8.) 第30回 日本PTA全国研究大会にて 八丈太鼓の紹介(録音)
 ロ 出陣の際の 陣太鼓を模した
  *1977年(S.52.7.) 八丈の湯と絹と踊 − 錦正社 ◇
 ハ 陣太鼓が 芸術化した
  *1980年代 服部屋敷にて 太田大丈夫氏による 八丈太鼓の紹介(録音) ◇

3. 武器(刀 剣 腰の大小 太刀)を取り上げられた流人(武士)が・・・・・
 イ
・・・・・うっ憤を二本のばちに託して 打ち鳴らしたものと言われ まさに
        陣太鼓を想わせるものがある (大きな陣太鼓を両面からうち鳴らした)

  *1958年(S.33.12.) 黒潮圏の八丈島 − 八丈町観光協会
   *1964年(S.39.10.) 黒潮圏の八丈島 − 八丈島新聞社
   *1968年(S.43.4.) 離島・伊豆七島(ブル−ガイド) − 実業之日本社
   *1969年(S.44.) 管内概要(昭和43年) − 東京都八丈支庁
   *1970年(S.45.7.) 八丈島(旅のコ−チ) − 成美堂出版
   *1972年(S.47.4.) 伊豆七島・小笠原 − 成美堂出版
   *1973年(S.48.3.) 八丈島誌 − 八丈町教育委員会内 編纂委員会
   *1977年(S.52.) 八丈町の方言 民謡・太鼓(テ−プ) − 八丈町役場
   *1989年(H.1.11.) 事業概要(平成元年度)  − 東京都八丈支庁
   *1990年(H.2.4.) 和太鼓楽譜集(八丈島太鼓) − 太鼓センタ−

  *1991年(H.3.1.) 事業概要(平成2年度) − 東京都八丈支庁
 ・・・・・うっ憤やるかたなく 太鼓に合戦の様を写して編み出した
  *1972年(S.47.9.) 日本民謡辞典 − 東京堂
  *1980年(S.55.5.) 日本民謡辞典 − 東京堂
 ・・・・・刀をとられたうっぷんを晴らすために(無念の想いをこめて)打った
  *1985年(S.60.7.) 幼児と音楽 7月号 - 音楽之友社
  *1989年(H.1.6.) 伊豆七島・小笠原(ニュ−ガイド トップ18) − 弘済出版社
  *1990年(H.2.1.) 音楽広場 1月号 − クレヨンハウス ◇
 ・・・・・剣のかわりにばちを使って(持って)うっぷんばらしに太鼓を打った
  *1978年(S.53.9.) 鴨川グランドホテルにて 八丈太鼓の紹介(録音)
  *1982年(S.57.) 伊豆諸島・小笠原諸島 − 東京都島嶼町村会
  *1983年(S.58.8.) 国際観光ホテル ロビ−にて 八丈太鼓の紹介(録音)
  *1989年(H.1.2.) 大阪府私立幼稚園研究発表 かおり幼稚園 ◇
  *1990年(H.2.1.) 大阪府私立幼稚園 第33回 教育研究大会より
 ・・・・・うっ憤を二本のばちに託して剣道のように打ち込んで憂さを晴らした
  *1980年代 服部屋敷にて、太田大丈夫氏による − 八丈太鼓の紹介より(録音)
 ・・・・・うっ憤を二本のばちに託して打ち鳴らした(晴らした)
  *1979年(S.54.7.) 伊豆七島・小笠原(グリ−ンガイド1) − 鞄潔h
  *1980年(S.55.5.) 伊豆七島・小笠原(グリ−ンガイド1) − 鞄潔h
  *1982年(S.57.8.) 全国高等学校総合文化祭 郷土芸能部門 解説書
  *1982年(S.57.9.) みんよう文化 − サンケイ出版
  *1985年(S.60.7.) 幼児と音楽 7月号 − 音楽之友社
  *1985年(S.60.11.) 民族芸能 66号  − 民俗芸能友の会 ◇
  *1990年(H.2.1.) 音楽広場 − クレヨンハウス ◇
 ・・・・・両刀をバチとして流島の憂目を晴らした
  *1977年(S.52.7.) 八丈の湯と絹と踊 − 錦正社 ◇
 ・・・・・剣道の代わりに始めた
  *1970年(S.45.) 日本の旅 5  湘南/伊豆七島 − 山田書院 ◇
  *1981年(S.56.2.) 八高新聞 東京都立八丈高等学校 − 新聞部
  *1982年(S.57.1.) 国立音楽大学 大学院修士論文 − 長尾満里
  *1984年(S.59.9.) 流人の島 −八丈風土記− − 日本週報社 ◇
 ・・・・・武術の稽古がわりに始めた
  
*1986年(S.61.5.) 歴史の島をゆく − 鷹書房
 ・・・・・武道を偲んで打ち鳴らした
  *1985年(S.60.11.) 民俗芸能 66号 − 民俗芸能友の会 ◇
 ・・・・・刀をバチに変えその哀愁をバチに託して打った
       八丈島 観光パンフレット − 八丈町役場
 ・・・・・剣の替わりにバチを持って打ち 心の慰めとした
  *1991年(H.3.1.) 農業協共同組合 Vol.431 − 石倉
 ・・・・・刀(太刀・剣)の代わりに バチを持って打ち込んだ
  *1971年(S.46.2.) 伊豆・箱根 最新旅行案内 7 − 日本交通公社
  *1973年(S.48.3.) 八丈島誌 − 八丈町教育委員会内 編纂委員
  *1973年(S.48.4.) 趣味の八丈島誌 − 長久保 満
  *1981年(S.56.7.) (島を歩く)伊豆七島・小笠原 − ゆう出版局
  *1982年(S.57.6.) 鼓動 第五号・夏 - 佐渡國鼓動 ◇
  *1985年(S.60.3.) 1984年町勢要覧「はちじょう」 − 八丈町役場
  *1989年(H.1.6.) 伊豆七島・小笠原(ニュ−ガイドトップ18) − 弘済出版社
  *1990年(H.2.) 伊豆七島 観光パンフレット − 東京七島新聞社 
  *      ISLANDS(伊豆・小笠原諸島ガイドブック) − 伊豆七島観光連盟
 ・・・・・刀をバチに変えその哀愁をバチに託して打った
       八丈島 観光パンフレット − 八丈町役場
 ・・・・・太鼓のバチでやるせない(寂しい)気持ちをぶちまけ(癒し)ました 
      八丈島歴史民族資料館 絵でみる八丈流刑史展 八丈太鼓の紹介文
  *1988年(S.63.3.) 伊豆諸島 小笠原島 − 伊豆七島観光連盟
 ・・・・・太鼓のばちに託して自らを慰めた
  *1976年(S.51.3.) 八丈民謡と太鼓−B面解説 − オニオンレコ−ド
 ・・・・・二本のばちに望郷(郷愁)の想いを託して打ち鳴らした
       八丈島 観光パンフレット − 八丈町役場
  *1970年後半頃  八丈太鼓(パンフレット) − 八丈町役場
  *1972年(S.47.9.) 日本民謡辞典 − 東京堂
  *1980年(S.55.5.) 日本民謡辞典 − 東京堂
  *1986年(S.61.3.) 八丈島 − 八丈町役場
  *1986年(S.61.3.) 第17回 東京都民俗芸能大会 解説書 
4.
 イ 流人達は悲しみ憤りを双つの腕にこめてうちならした
  *1974年(S.49.10.) 原太郎芸術論集 第一巻 − 未来社
 ロ 流人達が望郷の思いを太鼓の乱打に託した
  *1982年(S.57.1.) 国立音楽大学 大学院修士論文 − 長尾満里
 ハ 流人達の郷愁を二本のばち(乱打)に託して晴らしたのが始まり
  *1954年(S.29.8.) 東京都の郷土藝能 − 一古堂書店
  *1973年(S.48.2.) 日本の民俗藝能  X (離島・雑纂) − 木耳社
  *1983年(S.58.6.) 日本民謡大事典 − 雄山閣出版
  *1985年(S.60.1.) 東京都民俗藝能誌 下巻 − 錦正社
 ニ 流人達がふるさとの妻や子への想いをこめて打った
     太鼓センタ−附属 歌舞太鼓団[祭集]プログラム − 八丈太鼓の紹介
 ホ 流人によって伝えられた
  *1981年(S.56.7.) (島を歩く)伊豆諸島・小笠原 − ゆう出版局
  *1983年(S.58.10.) わらび 10月号 − わらび座
  *1989年(H.1.5.) ザ・太鼓 − 大月書店
 ヘ 流人達の手で始められた太鼓がいつしか島人達の間にひろがった

  *1982年(S.57.4.) ふるさとの芸能 − 毎日新聞社 ◇
 ト 数多くの流人文化の一つ
  *1989年(H.1.5.) 八丈太鼓 (レコ−ド・テ−プ) − キングレコ−ド
  *1990年(H.2.4.) 和太鼓楽譜集 − 太鼓センタ−

5. 漂着者が自分達の国の太鼓を思い思いに叩いていた
  *1991年(H.3.1.) 国際観光ホテルにて − 八丈太鼓の紹介(録音)
6.
 イ 島の女達が赦免された流人を見送る時に叩いた
  *1985年(S.60.7.) 幼児と音楽 7月号 − 音楽之友社
  *1990年(H.2.1.) 音楽広場 1月号 − クレヨンハウス ◇
 ロ 女性が主に打っていたようだ
  *1981年(S.56.6.) 女護が島考 − 未来社 ◇
  *1982年(S.57.6.) 八丈史発掘(35) − 南海タイムス
  *1984年(S.59.1.) 旅 探訪・伝説の里 − 日本交通公社
  *1989年(H.1.12.) [鼓動]の公演プログラム − 八丈太鼓の紹介
 ハ 女性中心の芸能だった
   *1981年(S.56.2.) 東京都立八丈高等学校 定時制紀要 第九集
7.
 イ 庶民の楽しみとして生まれてきた
  *1983年(S.58.10.) わらび 10月号 − わらび座
  *1991年(H.3.3.) 平成2年度 八丈管内教育研究紀要 − 八丈町教育委員会
 ロ 農業・漁業の合い間や祭りなど人が集まった時の座興
  *1991年(H.3.1.) 農業協同組合 VoI.431 − 協同組合中央会
 ハ 盆行事の中で行われたものであろう
  *1983年(S.58.3.) 東京都の民謡 −島しょ編− − 東京都教育庁
8.
 イ 虫送りの為の盆踊りや神事の祭文の太鼓のリズムから作られた
  *1984年(S.59.10.) 伊豆諸島のわらべ唄 − 第一書房
 ロ 民衆が祭文や神楽のリズムや奏法を模倣して叩いていた
  *1989年(H.1.6.) 民謡断想 〈5〉 − 南海タイムス

9. 小倉太鼓も両面打ちであるがその本元は京都の祇園太鼓であろう
  *1973年(S.48.3.) 八丈島誌 − 八丈町教育委員会内 編纂委員会

10. 南洋あたりから渡って来たものが種になった 
  *1953年(S.28.3.) 日本民謡大観 − 日本放送出版協会

   ◇印→〔確かなことはわかっていない〕と 断っているものです。
       * 資料は1990年(H.2.)頃までのものを参考にしています。
       * 複数の説を提示している場合は、それぞれに分けて書きました。

上記資料の「元本」「太鼓についての必要な部分の複写」「テ-プ」は、すべて手元にあります。

  * お願い 資料は個人で集めたものですから、多くの不備があると思われます。 もし、
            八丈太鼓についての「資料・情報」等の御提供をいただければ幸いです。

                 ご協力よろしくお願い致します。 井上洋子 _(._.)_


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               八丈島概況1960年(S.35.) - 東京都八丈支庁