Y 「 太鼓節 ・ ショメ節 ・ 春山節 」 に ついて

イ.太鼓節

   ・ 太鼓の拍子に 合わせて ・ のせて歌う唄 ( 挿入歌 ) あくまでも 太鼓の拍子が主 で 詞を かぶせていく
   ・ 八丈太鼓の 「 ほんばたき 」 という打ち方を 打つ 時に歌う
     必ず 歌う ・ 歌わなければならない ということではない
   ・ 太鼓の打ち始めや 途中で 歌うが 歌詞の初めから終わりまで続けて歌うことも
                             二つ ・ 四つ に 分けて歌うこともある
   ・ 本来は その場の雰囲気や 自分の想いを 即興 で 拍子に合わせて ・ のせて歌う
   ・ ショメ節の歌詞を そのまま使う ・ 利用する ことができる
   ・ 太鼓を打つ人 ( 下拍子 ・ 上拍子 ) が 歌うが 他の人が 歌だけ 歌う こともある
   ・ 歌の合間にも 打ち手 ( 上拍子 ・ 下拍子 ) や周りの人達は かけ声を掛け 賑やかに囃す ・ 囃したてる
   ・ 太鼓節を歌うときは 太鼓は軽く ・ 音を押さえるようにして
                       基本となる打ち方 ( 下拍子 ・ 伴奏打ち ) を打ち続ける

   
・ 譜面は 「 あが 八丈太鼓 つづき 」 の項に 記載してあります

 
* [ 太鼓節 ] は無形文化財の指定をうけた当初から
       「 太鼓に合わせて踊る 」 と 文化財関係の文献に 記載されています どうしてなのでしょう ???
   ・太鼓節は 太鼓を打つときにだけ 歌います 太鼓を打ちながら 歌います
   ・唄を歌ったり 踊ったりするような 場 ・ 所 では 必ずといっていいほど 太鼓が叩かれます
   ・叩いたり 歌ったり 踊ったり するようなときには 必ずといっていいほど 島酒を 飲みます
    
     太鼓節に合わせて踊るように 振り付けられた踊りは ありませんが
         太鼓を叩いたり 太鼓節を歌っているときに 浮かれて踊りだす人がいます
         太鼓の周りの人々は 盛んに囃し立てながら 一緒に踊りだす人もでてきます 中には 
         酔った勢いで ひょうきんな身振り 手振りで みんなを楽しませてくれる人もいます 
         こんな 太鼓 も 唄 も 踊り も あまり区別のつかないような情景に
                        “ 太鼓節で踊る ” と 思い込んでしまったのでしょうか

ロ.ショメ節
   ・ 伴奏はなく 手拍子 を 打ちながら 歌う
   ・ 即興で その場に合った 詞 や 自分の想い 八丈島の風俗 ・ 風習 ・ 名物 ・ 地名など を ときには
       方言 を 交えて 七七七五調詞に 詠み込んで 歌う すぐに忘れ去られてしまう 詞がほとんどだが
       人々の共感を得た詞は 歌い継がれて 後世に伝わっていく そのために 現在では
       数百という歌詞が残され ・ 記録され なお増え続けている ( 即興歌 )
   ・ 正調というものはなく 地区によって 節回しがかなり違う ・ 地区の特徴がはっきりしている 
                 個人の好みで工夫して歌う
   ・ 歌い掛けられ それに応じる 問答の形式 ・ 対に なっているものも多い
   ・ 歌と歌の間に 「 ショメー ショメ 」 と みんなで囃す
   ・ 酒席などでは イヤー と 誰かが歌いだす すると ソラ 「 もう一本 」 「 もう一本 」 の声につれて 
       一人は 一本か 二本づつ歌い 次々と違う歌詞で 歌い繋いでいくため 多くの歌詞を 知っている人や 
                        その場に合った詞で 歌える人が 珍重され もてはやされた ( 宴席歌 )
   ・ 盆踊りのときなどには 音頭取りの 生 の 歌 に合わせて 
            やぐらの周りに 輪になって みんなで踊る ( 盆踊り唄 )
   ・ 八丈節 ともいわれ 節回しも わりに簡単で 誰にでもすぐ覚えられるため 島民に親しまれ 愛唱されている 
         八丈島 の 代表的な民謡

    

  ○イヤー 沖で見たときゃ 鬼島と見たが 来て見りゃ八丈は 情け島 ショメーショメ
  ○イヤー ついておじゃれよ 八丈ガ島へ 荒い風にも あてやせぬ ショメーショメ
  ○イヤー 黒い髪の毛 長さは背丈 可愛いあの娘{こ}は 島育ち ショメーショメ
  ○ 八丈女童{めならべ} 五尺の髪に 主の心が つなぎたい
  ○ はかばはかせん ただ殿まかせ 赤い鼻緒の 投げ草履
  ○ 回り親様 大目に見やれ 今宵来る人 わしの夫{つま}
  ○ わたしゃ八丈の 茅葺き屋根よ 瓦 ( 変わら ) ないのが わしの棟 ( 胸 )
  ○ わしの心と 底土の浜は 恋し ( 小石 ) 恋し( 小石 ) と 待つ ( 松 ) ばかり
  ○ わがな想いは 八幡山の 落つる木の葉の 数よりも
  ○ 主と住むなら 乙千代ガ浜の 雨の岩屋 ( 岩の屋形 ) も いとやせぬ
  ○ 八丈底土の ばらばら ( みどりの ) 松は 枯れて落ちても 二人づれ
  ○ こんな恋しい 八丈捨てて どこへなにしに おじゃるやら
  ○ 八丈末吉 灯台あれど 恋の闇路は 照らしゃせぬ 
  ○ 明日は出船か その出たあとで わたしゃアブキの 片思い
  ○ お江戸おじゃらば 口伝て頼む まめでいるよと 云うてくれ
  ○ ぼっくりひんなぶして 袖ひっちかめいて おみゃはおじゃろか この雨に
  ○ やま{畑}できんぼかみゃ いも葉を御器に 桑{か}の木の小枝を 箸に折る
  ○ 月夜闇夜と いわずにおじゃれ いつも椿の 下は闇 
  ○ 連れてゆくとて まただまされた わたしゃ底土の 捨て小舟
  ○ 五尺丈なす みどりの髪に 椿花散る 八丈島
  ○ なぶれかぶれに おじゃらち様が  今じゃ足駄で 提灯で
 
 
*  八丈島にきた当時 ちょっとした親睦を図る場などでは 必ずといっていいほど 
   手拍子を打ち 「 ショメー ショメ 」 と 囃ながら  みんなが 色々な歌詞で 次々と 歌い次いでいくのを 聞くのが
   楽しみだったのですが だんだん ショメ節 を 耳にする機会も 減ってきているようで 寂しいことです

   「 ショメ 」 とは ・・・?
     @ 八丈島に 豊かな海の幸をもたらす 黒潮 ( 暖流 ) と 親潮 ( 寒流 ) が ぶつかり合う 潮の境が
           海の上に 線を引いたように 見える その潮目のこと
     A 梅干しを 漬ける時の 塩 の 案配 ( 量 ) は 主婦の腕のみせどころ 良い塩加減で 美味しく漬かった
           塩梅のこと 「 何事も ほど ( 案配 ) の 良さが 大切 」

 ◎ 参考文献 八丈島のショメ節         1979年 (S.54.3.)   くらうん工房
          奥山熊雄の 八丈島のしょめ節    1991年 (H.3.10.)   金田章宏 

ハ.春山節
   ・ 正調というものはなく 伴奏 踊り 囃し・かけ声 も 付いていない
   ・ 養蚕が盛んであった頃 野山で 桑の葉を摘みながら 歌った唄 ( 労作歌 )
   ・ 八丈島独特 の風を伝える民謡だが 歌える人が少なくなってきている
                   
   

  ○ 春になりゃこそ 木の芽もめだつ ヨーオー 様 ( 殿 ) も時節を 待つがよい ヨーオー
  ○ 春の摘み草 せがれを連れて ヨーオー 嫁菜さがして 菜{さい} ( 妻 ) とする ヨーオー
  ○ 友人{ともだち}頼めば 時節を待てと  時節待つなら 頼みゃせぬ
  ○ 春になりくりゃ 桑{か} ( 木 ) の芽も芽吹く  芽吹く桑の木にゃ 金がなる
  ○ 思う種おば 私にさせて  忘れ草おば 先でする
  ○ わりゃな歌うずにゃ 出て春山で  我がな心の 晴れるまで
  ○ 春の摘み草 摘み残されて  秋にゃ野菊の 花盛り
  ○ 富士の山より 想いは高い  情けは海より 深くなる
  ○ 春の野に出て 歌わぬ人 ( 者 ) は  腹にやんごが ありげな ( だ ) ら
  ○ つつじ椿は 御山を照らす  殿のお船は なだ照らす
  ○ 春の鶯 夏鳴く蝉を  同じ月日に 鳴かせたい
  ○ 粋な春山で かべもぐ様の  お顔見たさに 遠回り{と-も-り} ( 回り道 )
  ○ 春の来たのを 知らずにいたら  鳴いて知らせた ウグイスが
  ○ 梅は咲いたに なぜウグイスは  藪の中にと 鳴いている
  ○ ツツジ椿は 御山{みやま}を照らす  殿のお船は 灘照らす
  ○ わりゃな歌うしが でて春山で  我がな心が 晴れろほど
  ○ 麦は穂になる 桑の芽は芽吹く  松は五様に ( と ) なるわいな
  ○ 春のウグイス 夏鳴くセミを  同じ季節(時節)に 鳴かせたい
  ○ 春ははや来る 桑の木は芽吹く  芽吹く桑の木は 皆お金
  ○ 富士の山より 想いは高い  情けは海より 深くなる


 
*  複雑で微妙な旋律の上に 歌う人が 独自の工夫を凝らして歌うため 覚えること自体 なかなか難しく 
   あまりにも悠長な節回しのため 今の人々の興味を惹きにくいようです  珍しい民謡として 貴重な唄ですが 
   実際に歌われるのを聞いたのは 私自身 数えるくらいしかありません


  
Z 東京都無形民俗文化財 としての
      「 八丈島の民謡 ( 太鼓節 ・ ショメ節 ・ 春山節 )」


イ. 
文化財保護法 (法 214号) 昭和25年(1950)5月30日 制定
 
第1章  第1条 (この法律の目的 ) 
                  この法律は文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって国民の文化的向上に
                  資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。

ロ. 東京都文化財保護条例 (条例 第25号) 昭和27年(1952)4月1日
 
第1条 ( 目的 ) この条例は、文化財保護法(昭和25年法律第214号。以下「法」という。)で指定した
             文化財を除き、特に東京都にとって貴重な文化的遺産のいん滅を防止して将来に伝え、
             都民の郷土に対する認識を深めるとともに精神生活の向上に資することを目的とする。

ハ. 東京都文化財指定基準 昭和27年(1952)7月7日
 
基準の大綱は文化財保護委員会に於いて制定せる「国法及び重要文化財等指定並に選定基準」
 (昭和26年5月10日文化財保護委員会告示第2号)を参考とし都内にあるもので左記諸項に該当するものとする。
   (二) 無形文化財
     一、郷土の民俗芸能の伝統を保持し歴史的芸術的価値あるもの
     二、技術の伝承者少なく衰亡に瀕するもの。

 * 1952年(S.27.)11月3日  東京都として 基準ができた 第一回目に
          「 八丈島の民謡 (ショメ節 太鼓節 春山節 ) が 指定されています これは 八丈島の民謡が
         文化財保護に熱心な人々や 民謡の専門家や 研究者達の間において 芸術的な価値が高い上に
         我が国の 貴重な遺産であることが かなり早い時期から 注目されていたことを 立証しています
          「 木場の角乗り 」 「 檜原村の式三番 」 「 小河内の郷土芸能 」 も ともに 指定されました 
 * 1960年(S.35.)2月13日には
              「 樫立の場踊 」 「 樫立の手踊 」 も 東京都の無形民俗文化財の指定を受けています

◎ 「条例」や「基準」は数度の改正を経て 現在では下記のようになっています

ロ.” 東京都文化財保護条例 (東京都条例 第25号)  昭和51年(1976)4月1日
 
第1条 ( 目的 ) 第98条 第2項 の規定に基づき、法の規定による指定を受けた文化財以外の文化財で
             東京都(以下「都」という。)の区域内に存するもののうち、都にとって貴重なものについて、
             その保存及び活用のため必要な措置を講じ、もって都民の文化的向上に資するとともに、
             我が国文化の進歩に貢献することを目的とする。

 
第2条 ( 定義 ) この条例で 「 文化財 」 とは、次に揚げるものをいう。
     三 衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗習慣、民俗芸能及びこれらに用いられる
       衣服、器具、家屋 その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの
       (以下「民俗文化財」という。)

ハ.” 東京都文化財指定基準 (東京都教委告示第2号)  昭和52年(1977)1月14日
 
第4 東京都指定無形民俗文化財
  (二) 民俗芸能のうち次のアからウのいずれかに該当し、重要と認められるもの
     ア 芸能の発生又は成立を示すもの
     イ 芸能の変遷を示すもの
     ウ 地域的特色を示すもの

 * 八丈島の民謡が文化財として指定された 
      昭和27年当時は 「 郷土の民俗芸能の伝統を保持し 歴史的芸術的価値あるもの 」 
      現在では 「 民俗芸能のうち 地域的特色を示すもので 重要と認められるもの 」 に 該当すると思われます

参考文献
 イ 六法全書  昭和63年(1988)版 T       夕斐閣
 ロ 文化財の保護 (第15号)  昭和58年(1983)3月     東京都教育委員会
 ハ 東京都の文化財 (二)  1986年(S.61.2.)     東京都教育委員会
 ニ 1981年(S.56.)7月26日 郷土の宝 7 芸能     南海タイムス 



  
  [ 八丈島の 「 太鼓 ・ 民謡 ・ 樫立踊 」 の 共通点

 
八丈島の芸能は どれも ほんの少しの制約 ( 基本となること ) はあるものの
                           かなりの自由が 許されているように思います 
        ○ 〔 八丈島の太鼓 〕 と 
          〔 八丈島の民謡 ( 太鼓節 ショメ節 春山節 ) 〕 と
 
          
〔 八丈島の踊 り ( 樫立の手踊 樫立の場踊 ) 〕 等の 間に見られる 
                                           共通点 について 考えてみます

* 太鼓 下拍子に制約を受けるものの 速さや 叩く方法 については自由です
      即興打ちで 個性的であり 独創性に富んでいる ことが大切です
      地区によって 叩き方の 名称 や 拍子 が 多少異なります

* 民謡 だいたいの旋律はあるものの 間 とか 音程 について かなり自由です
      ショメ節 も 春山節 も 伴奏は いっさい付けずに歌います ( 太鼓節は 太鼓の拍子に合わせる ) そこで 
      歌う人によって 多少違いますし 同じ人でも その時々によって 微妙に変化しますから 一般的な旋律から
      かなり離れていても 間違い ということにはならず その人独特 ( 個性的 ) の 間の取り方・節回し として
      認められています  即興で その場に ふさわしい詞 を当てて歌いますが そんな歌詞の中から 
      多くの'人々の 共感 を 得た 詞 は 好まれて 度々歌われる ため 古くからの歌詞が 数多く残っており 
      今もなお 歌い続けられています 地区により 節回しが かなり違います

* 踊 り 決まり ( 形 ) はあるものの 細かな部分については かなり自由です ここでは 左手を挙げる 
      右脚を曲げる という 決まりはあるものの 手は 45度に挙げなければならない とか
      脚は ここまで曲げなければ間違いだ というところまでは 束縛されていませんから
      細かな部分については それぞれが 工夫して 個性的 な 姿 で 踊っています

      楽器は いっさい使わず 音頭取りの 生の歌に合わせて 踊りますから その時によって 間が 延びたり 
      縮んだり ということもありますが あまり こだわらず 踊り手達が 合いの手を入れながら 踊ります 

 太鼓も民謡も踊りも全体として 何気なく 聞いたり ・ 見たり していると どれも 同じように 
      聞こえる ・ 見えるのですが 細かく比較してみると 一人一人 ずいぶん 違っていることに気がつきます 
 例えば
   ・ 太鼓の手 ( 上拍子 ) を 録音しても それは [ ある人が ある時 叩いた 太鼓の記録 ] と 言えるだけです
   ・ 民謡の 採譜 をしても 聞いた歌の数に近いくらい ・ 同じくらい
                            [ 少しづつ 違う譜 ができる ] と いうことになります
   ・ 踊りを 録画 して見れば 細かな部分では [ どれが正しいのか よくわからない ] 程 個性豊かです

 小さな島とはいえ 地区は坂上 ・ 坂下と大きく2つに分分かれ 坂上は3つに 坂下は2つに分かれていますので
全部で5つの地区に分かれています 昔は道路も整備されておらず 現在のように便利な乗り物はありませんでした
から それぞれの地区の間の行き来は思うにまかせず 交流の機会も殆どなかった と思われます そのことが 
八丈島の太鼓 八丈島の民謡 とはいえ それぞれの地区の内で 少しづつ または 大きく変化しながら 
受け継がれることになり それが 簡単に行き来 ・ 交流できるようになった現在では 
各地区の特徴を示す ・ 明らかにする 叩き方だったり 節回しだったり ということになっています
 
 自分のものとして 叩いたり ・ 歌ったり ・ 踊ったり しょうとする者は 「・・・・・ ねばならない 」 という教えは
受けませんから まず 他の人のを見て ・ 聞いて 自分の気に入った先人が 叩いたり ・ 歌ったり ・ 踊ったり
しているのを 真似することから始めます そして それを少しづつ 自分らしい太鼓 ・ 歌 ・ 踊り になるよう 
工夫していきます 即興だ 自由だ 特に決まりがないというものの 余りにかけ離れてしまうと 
受け入れられないのは当然としても かなり大きな自由が許されていることは確かなようです

 伝統芸能といえば 【 正調はこれ 】 とか 【・・・ ねばならない 】
というように 各種の決まりに 
がんじがらめに されている ことが多く どうしても 閉鎖的になり 一般の人達からは遠い存在となってしまい 
歌ったり ・ 踊ったり できるのは 保存会の人達だけというようなことがおこりがちですが その点
この島の芸能は 島人の 大らかさ 心の広さを感じさせるものです


      
【 樫立踊り 】
 厳しい日々の生活に追われていた島人達は お盆のくるのを 楽しみに待っていたことと思われます 
盆踊りは 江戸時代から 全島の各村 ( 各地区 ) で 盛んに歌い ・ 踊られていましたが 明治時代になると 
世情の変化につれて 次第にすたれていきました そんな中で 樫立地区は 古くからの 歌と踊りを大切に保存し 
現在まで伝承しています 場踊り 手踊り ともに 楽器の伴奏はなく 生の歌声に合わせて踊ります

イ 
樫立の場踊 1960年(S.35.)2.13. 東京都の無形民俗文化財に指定
     江戸時代初期から中期にかけて 流行していた 各地の風流歌が 流人や漂着者 船の乗組員達によって
    伝えられた のではないか と言われています 
    坂上地区では 盆踊りとして踊るとともに 虫祭り ( 虫除祭り ) を兼ねて 踊っていました 踊り手達は 
    念仏を唱えているようにも聞こえる 単調で 悠長な歌を 順番に歌いながら踊ります ひと休みする時には 
    踊りの輪の中央に置いたご馳走を食べたり ・ 飲んだりしていたよです 年寄りの踊りとされて 
    婆踊りとも 言われていました 現在では唄が歌える人も 踊れる人も殆どいない状態です

    東京文化財ウイーク の
                                                          
POST CARD より
    
曲目 : 松原 江島踊り 鵜の鳥 お菊がお茶 走り舟 向いの山 清十郎 
         二八が若さ 又七郎殿 思案橋 十七 やっこらさ

ロ 
樫立の手踊 1960年(S.35.)2.13. 東京都の無形民俗文化財に指碇
       内地の各地の盆踊り ( 民謡や踊り ) が 流人などによってもたらされた 歌 ( 歌詞 ・ 曲 )や
      踊り ( 振り ) を 島風に変化させながら 今日まで伝えてきています
      [ 場踊り ] よりは 手足や 身体の振りが大きく 動きも早いので 若者の踊り とされていましたが 
      現在では 樫立踊りの 主流となっています 音頭取りが 歌う 唄に 合わせて 踊り手達は 囃し言葉や
      合いの手を かけながら 列になって踊ります 地元には すでに残っていない  歌や踊りの
      原形が この島に残っており 今もなお 大切に歌い ・ 踊り継がれている というものもあります

   八丈島のパンッフレット
より

    曲目 : あいこ節 藤次郎甚句 平潟節 平潟くづし かんとう屋 伊勢音頭  
         とのさ 土佐くどき 槍くどき よしこの節 流れ

 ◎ 参考文献 八丈島の場おどり 1974年(S.49.3.30.)  八丈町教育委員会

                                                        井上洋子 記                                                          
この後に 書くつもりなかった 実際に踊っていないから 本当の所はわかっていない という付記を書くこと


 1p 八丈島の太鼓について top  2p 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な 誤解 」
 3p なお 「 なぜ?・ どうして?」  4p 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な 理解 」
 5p 各種文献から 「 気になる記述」  6p 「 太鼓節 ショメ節 春山節 」 について


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