U 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な誤解

 人生の途中で この島に移り住んで 八丈太鼓に感動し 太鼓に興味を持って 叩かずにはいられなくなり ・・・
              ずいぶん叩いたような気がして ・・・ いま思うと とても恥ずかしいのですが ・・・
 太鼓のことについては 何でも知っている というような 錯覚に陥っていました 今回 その気持ちの延長で

    八丈島の太鼓について まとめてみようと思い できるだけ本を読んだり
                 集めてあった 資料を ふたたび 見直したりして 書き始めたところ 実は

 とんでもない 勘違いや 思い込みを していたことに 気が つきました 
                     まだまだ いっぱい 間違っていることと 思いますが 
                           
大きな誤解を していたことだけ を 書いておこう と思います

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   *  八丈島には 「 昔から 太鼓がたくさんあった 」 と 思っていました
 来島当初 太鼓の多さに驚きました 多くの宿泊施設や 各地区の公民館 幼稚園・小・中・高 の各学校 
そのほかに 共有の物や 個人で所有している太鼓までありました 1970年(S 45)頃というのは 稲田カエさんが
大阪の万博で 八丈太鼓を披露して 評判になり テレビなどでも紹介されたことがきっかけで 島でも
太鼓があらためて見直され 盛んに叩かれるようになるとともに 太鼓の購入台数も増した時のようです 
そんなことは全く知りませんでしたから それらの太鼓は みんな 昔からあったものだと思い込んでいました 
ですから 島の人達は いつでも 誰でも どこでも 気軽に太鼓を叩いて楽しんでいたに違いない とか 
実際に 太鼓を叩きながら 工夫をしたのだろうと思い込んでいました
 

 
しかし 昔は太鼓の台数は少なく 普段は貴重品として大切に保存されており めったに 叩かせて
貰えなかったようです
そして お祝い事や お盆などの 大きな行事のときにだけ 適当な 木や柱に吊して
みんなで叩いたのだそうです 皮面が破れれば 修理もままならないことですから 当然のことだったのかも
知れません 太鼓が好きで 叩くことに興味の尽きない人達は 身近にある 醤油樽 石油缶 庭に積んである
薪用の枯木や 流木 廃材など なんでも太鼓の代わりに叩いて 楽しみ工夫をしたようです 
杉の丸太を叩くと 透き通った とてもいい音がした ということです

   
* 「 太鼓は 専用の台(脚)に乗せて 叩いていた 」 と 思っていました
         専用の台 = 太鼓の高さを 自由に 調節することができ
                    心棒を支点として 畳むことができる台 (脚) のことです

 太鼓を置く台にしても 太鼓専用の台しか知りません やぐらのように 固定された台を見ても 「変な台だ 」 とか
「 叩きにくい台だ 」 と思うほどですから 「 松の木に吊したり 家の梁に吊して叩いた 」 ということを聞いても
吊した太鼓を 叩いているのを 見たことも ・ 自分で 叩いたことも ありませんでしたから 実感が湧きませんでした 
しかし 今回 古い文献に 接している間に 木に吊した太鼓を 叩いている 写真や 長机の上に 椅子を2個 置き
その上に 太鼓を乗せて 叩いている写真
{ 「 八丈太鼓の由来 」 の中に掲載 } などを見て 

 
自分の知っている台 { 折畳み高台 X型台 } は ごく最近になってから 太鼓の大きさに合わせ
安定していて 叩きやすいように 工夫して 作られたものである ということがよくわかりました

   * 「 誰でも 太鼓を叩く ・ 叩ける 」 と 思っていました
 八丈島に来た当初 大勢の人々が集まって 島酒を酌み交わしながら 太鼓を囲んで 叩いている人も 
叩いていない人も そこに集まっている人々みんなが一つになって にぎやかに盛り上がる雰囲気が珍しく 
自分も一緒になって楽しんでいましたので 周りのことを 細かく観察している余裕はありませんでした そこで 
「 この島の人は 誰でも太鼓を叩く ・ 叩ける 」 と 思い込んでしまいました 

 でも ・・・ 実際には
この島で生まれ育った人の中にも 桴を 持ったこともない人や叩きたい・ 叩けるように
なりたい という気持ちは持っていながら 叩けない人もいる
ということがわかってきました 
この島の人々は わざわざ 太鼓の練習をする という感覚は 全くありません ただ 宴席などで みんなが集まって
太鼓を叩くときに 一緒に叩く ことで いつのまにか 叩けるようになり 機会ある毎に叩くことで だんだん
上手になっていく ようですから 叩けない人が多くなった ということは みんなで集まって
太鼓を叩く機会が 減ってきた と いうことなのでしょうか

   * 「 太鼓を打つ 特別の人がいる 」 と 思っていました
 ハッピ はんたこ 鉢巻きをキリッと締めた若者が 音 ( 響き ) を確かめるように ゆっくり 叩き始めたかとおもえば
だんだん速くなっていき ついには 目にもとまらぬ早さで 桴を繰り出し 何がどうなっているのかわからないまま
息をつめて見つめていると 「 ドン・ 」 と 太鼓を叩いていた二人が 同時に打ち終わり あっけにとられてしまった
私は しばらくは 拍手をするのも忘れてボ−としていました こういう太鼓に感動して
「 八丈太鼓は 特別に訓練した人達が叩く太鼓なのだ 」 と 思い込んでしまいました
 

 でも 八丈島には 特別 ・ 専門の人が いたわけではなく かわるがわる叩いて楽しんでいた人達の中から 特に
太鼓に興味を持ち 宴席の座興として叩く だけでは 満足できなくなった人達が 次々と新しい工夫を加え
より複雑な技 より良い音 より速く と 厳しい目標に向かって 練習を重ねた結果 ついには
舞台などでも 聞かせ ・ 見せる ことに堪え得るほどの 洗練された太鼓が 叩けるようになっていったようです

   * 「 男性が 主に 叩く太鼓だ 」 と 思っていました
 他の地方で 叩かれている太鼓と 同じように 「 男性が 威勢よく叩く太鼓だ 」 と 思っていましたから 宴席などで
女性が太鼓を叩くのを見たときは 一部の陽気な女性達が お酒に酔って 浮かれだして 叩くのだろう と思っていました 

 でも 八丈島の太鼓は 女性も叩いていた とか 主に叩いていたのは 女性だった と いうことがわかってきて
「 太鼓を叩きたい などと思うのは 変なのかな- 」 と考えていた私は 少し安心しました そういえば 男性が
女性と同じように 両脚をそろえて 上体を捻りながら 太鼓を叩く姿が 妙に色っぽく 不思議な感じで見ていたことが 
これまでにも 度々ありました
 昔は 小さな太鼓を 自然に生えている 松の木などに 吊して叩いていたようですから 男性が
力一杯叩くわけには
いかなかったのでしょう それで 女性と同じように 優しい姿で 柔らかく 叩かざるを得なかった のかも知れません
この島に来るまで 女性が主に叩く太鼓を 聞いたり ・ 見たり したことは
ありませんでしたが 
この島の女性達が叩く太鼓は とても魅力的でした

   * 「 大きい太鼓を 力いっぱい叩くのだ 」 と 思っていました
 
島の若者達が 力の限りに叩く太鼓を 八丈太鼓と思っていた私は 自分も全身を使い 全力で太鼓を叩きたい と
思っていましたので 「 なるべく大きな太鼓を叩きたい 」 という 希望を 持っていました が ちょっとした集りなどに
準備してある太鼓は ほとんど 一尺 〜 一尺三寸位 の大きさでしたから 力いっぱい叩くわけにはいかず いつも
物足りない思い を していました そして そこに集まった人々が その小さ太鼓で 結構楽しんでいるのを見て
「 どうして こんな小さな太鼓で楽しめるのだろう ?」 と 不思議でした 

 しかし 島での生活に慣れてくるにつれて 小さな太鼓に合った軽い桴を使って 技は 二の次として
優しく 軽快に 叩いたり その場の雰囲気が盛り上がるように ひょうきんな身振りで 叩いたり 歌をうたいながら
みんなで かわるがわる 叩いて楽しむには 太鼓の大きさなどは 問題ではなく
小さな太鼓でも 充分に楽しめる ということが 次第にわかってきました

   * 上拍子は 「 歯 を くいしばって叩くのだ 」 と 思っていました
 若者が 力強く打つ太鼓を聞いて ・ 見て 「 すごい太鼓だ! 」 と 感心していましたし 全身全霊をかけて
一打ち 一打ち 桴を 振り下ろしている 打ち手の姿と あたりの空気までも 震わせるほどの音 ( 響き ) から
「 口を キッと結び 歯を くいしばって叩く太鼓だ 」 と 思っていました それで
自分も 全身で 太鼓が叩けるようになりたい と 思っていました

 しかし 八丈太鼓の本来の姿 ( 叩き方 ) は 「 眠っている子供が 目を覚まさないくらい 優しく ・ 柔らかく
踊るようにして叩く太鼓 」 なのだそうです 脚をふんばって 深く沈み込み ○○道 というようなものまで
感じさせるほど 重々しく 力強く 叩く太鼓は 「 鬼が叩くような おそろしげな太鼓 」 といって 島人 特に
お年寄達には あまり好まれない ようなのです 
 
八丈島の太鼓は 特に 強い力 や 大きな音 が必要なのではなく 太鼓の拍子に浮かれて 踊りながら
桴を振る その踊る延長に 音がある ということの方が より大切 なようです

   * 「 上拍子より 下拍子の方が 簡単だ 」 と 思っていました
 音楽的な感覚について まるで自信がありませんでしたので 「上拍子は 目立ちすぎるし 複雑そうな拍子を
次から次へと叩かなければならないけれど 下拍子は あまり目立たず 同じことを くり返して叩いていれば
いいだけのようだから 自分でも なんとかなりそうだ 」 と 思い まず 下拍子の練習に とりかかりました

 下拍子の人の 技術が いかに大切か ということや 下拍子によって 上拍子人の 叩き方まで
左右されることがある などということは まったく 知りませんでしたし その後も 長い間わかりませんでした
 
上拍子を叩く人から好まれ ・ 喜ばれる下拍子が叩けるようになる ということは至難の業 で 私には ほとんど
不可能に近い ということが 自分で 少し下拍子が叩けるようになり 上拍子も いくらか叩けるようになって きた頃 
やっと 少しづつ わかってきました 下拍子の方が簡単だ などと とんでもない 勘違い を していたことが 
恥ずかしくてなりません

  * 「 ドン・ド・コ・ ドン・ド・コ・ 」
         
下拍子が叩ければ 誰とでも叩ける太鼓だ」 と思っていました
 
「 早く みんなの仲間に入るために まず 下拍子を 叩けるようになろう 」 と 思い ドン〜〜ド〜コ〜 
ドン〜〜ド〜コ〜 と練習しました 自分では どうにか叩けるようになった と思っても 
私の下拍子で 上拍子を叩いて下さる方は なかなかありませんでした せっかく
下拍子を 叩かせてもらっていても 途中で 「 はたけなきゃ- 」 と 叩くのを 止めて しまわれたり
上拍子を叩きながら 首をかしげられたり することが多く そんな時は 何が 何だか よくわからないまま
がっかりして 悔しい 思いをしていました 

 その内 少しづつ 同じ下拍子のようでも ちょっとした強弱の付け方 や 間の取り方で 上拍子の人が
気持ち良く叩けたり 全く叩けなかったりする ということや 地区によって 叩き方に
微妙な違いがある
ということなどがわかってきました いつも一緒に叩いている人だと 安心して 叩くことができ お互いに
助け合うことが できることもあって 自然に
技術や 気持ちの合った二人が 組んで叩くことが多くなり
決まった相手としか 叩かない ・ 叩けない という人もいるようです

   * 「 ドン・ドン・ドドン・・・ 」
         
上拍子が叩ければ 誰とでも叩ける太鼓だ」 と思っていました
 「 色々な叩き方や 難しい叩き方は 無理だとしても 下拍子に合わせて ドン・ドン・ と 少しでも叩くことができれば 
誰とでも ・ 誰の下拍子ででも 自分の叩ける範囲の叩き方で 上拍子が叩ける ・ 相手ができる 」 と思っていました 

 ところが 実際に叩いてみると いつも一緒に叩いている人や 自分の馴染んでいる拍子の 下拍子であれば
いいのですが 下拍子としては 同じ叩き方のはずなのに 全く違う拍子のように 聞こえることがあり 
叩きにくかったり 全然叩けない ということもあります それほど
下拍子の叩き方は 一人一人 特徴 ・ 癖があり 差があり ・ 違いがあります また
地区による叩き方の違いは 大きいものがありますから 
よほど練習し 多くの経験を積んでからでなければ
誰とでも 叩く ・ 叩ける まして 楽しく叩く と いうわけには いかないようです

   * 「 桴は 弾ませて叩くのだ 」 と 思っていました
 若者達が叩く太鼓は それは大きな音で 鳴り響きますから 身体のすみずみまで 振動が 伝わってきます 
その大きくて 澄んだ音は 太鼓の皮を 最大限に振動させる から 出せるのだ と 思っていましたから 
「 桴は 歯切れよく 弾ませて 皮 ( 面 ) を 叩かなければならない 」 と 思っていました

 ところが 地元の人達は 桴で 太鼓の皮面を 軽く押さえる ようにして 叩いています
年齢が高くなったり 地区によって その割合は ぐんと高くなるようです 桴が 皮の振動を 邪魔したり
止めたりし てはいけない と思っていた私には とても信じられないことでしたが 地元の人が桴を持つときは
親指をたてて 桴に 添わせるようにするところから どうしても 皮を押さえるような叩き方 になるのかも知れません 
それとも 木の枝に吊した太鼓は 一打ち毎に あちら こちらへ 動いてしまい さぞ叩きにくかったことでしょうから
その太鼓のゆれを 少しでも防ごうとして 上拍子 下拍子の 両面から 桴で 太鼓の皮を 押さえる ような
叩き方が 自然に 身についたのかも知れません

   * 「 練習の方法が 決まっている 」 と 思っていました
 初めの頃は どの人が叩く太鼓も みんな手品や魔法のように 鮮やかな拍子と桴さばきに 見えましたので 
「 段階的な 練習方法が 確立しているのだろう 」 と 思っていたのですが
 

 特に そのようなことはなく まず 他の人が叩く太鼓を 真似することからはじめ 身の回りのものを
叩いては 工夫 ・ 練習 することによって 少しづつ 自分の太鼓が 叩けるようになっていくようです
 
 太鼓の好きな人は 積極的に太鼓を叩きますから 上達も早く 上手になると 誉められたり 叩いて欲しいと 頼まれる
こともあって 太鼓を叩く回数が増し それが励みにもなって ますます上手になっていく ということのようですから
練習の方法を 確立するよりは その個人が どれだけ 太鼓に興味を持っているか ・ 好きか ・ 工夫することに
喜びを感じることができるか ということのほうが 太鼓が上手になるための 大きな鍵を握っているようです

   * 「上手に叩く!」 ということが 大切なことだと思っていました
 島の人達が叩く太鼓を 初めて聞き ・ 見て 二本の桴が 鮮やかに 繰り出されたり 二人で叩いているのに
音が 見事に一つになって 響き渡るのに驚いてしまい 「 大変な技術が 必要な太鼓なのだ 」 と 思ってしまいました
少なくとも 太鼓を叩いて 自分も楽しみ 他の人にも喜ばれるためには 自在に 二本の桴を扱い
良い音 や 軽妙な拍子 で 叩けることは 最低の条件 だと思っていたのです
  

 しかし 太鼓を叩いている人が 失敗して 桴が止ってしまい 困っているときにこそ 周りにいる人達が 囃したてて
打ち手の気分を引立て ・ 気を取り直させ 次の手を 叩かせてしまう というようなことを よく目にしますし 
打ち手の方も 高度の技術で 聞かせる人より 太鼓は ほとんど叩かないけれど 滑稽な姿で
床や太鼓の脚 ( 台 ) を 叩いたり 踊ったりして みんなを笑わせ 楽しませてくれる 人の方が 好まれる
というようなこともあります すなわち みんなで叩く太鼓 ですから
太鼓が上手 ・ 下手とか 直接 太鼓を叩く ・ 叩かない ということが 重要なのではなく いかに その場に
溶け込んでいるか ・ 打つ 本人自身が 楽しんでいるか ということの方が 大切なようです

   * 「上手な人は太鼓を叩くことが 楽しいだろうな- 」 と 思っていました
 自由自在に 桴をあやつり 自分の想いを 精いっぱい 太鼓に 打ち込んでいる ような人達を見て
「 あの人達は 太鼓を叩くことが 楽しくって しょうがないだろうな- 」 と うらやましく思っていました
 

 しかし 上手な人には 上手な分だけ 達成するのが より困難と思える目標が 立ちふさがっていたり 
下手なときは 笑って許された失敗でも 厳しく批判される ようなこともあるようです 又 努力を重ねても
練習を始めたばかりの時のように 急に 上達したり 自分の太鼓を 際だって変化させることは なかなか
難しいうえに 体力が衰えると それまでと 同じようには叩けなくなることもありますから いつでも どこでも
最高の太鼓 自分自身が満足し 他の人にも 喜んでもらえる 太鼓を叩きたい という願いを持っている人達は 
自分の技術について悩んだり 体力を維持するための 努力をしたり と 苦しいことも多いようです

   * 「 見せる ・ 聞かせる太鼓だ 」 と 思っていました
 八丈太鼓は 観光客には 豊かな自然や 新鮮な魚料理とともに 欠かせないものですから 
そういう人達のために 「 叩いて 聞かせる ・ 見せる 太鼓だ 」 と 思っていました
 

 上手な人達の叩く太鼓を見たり ・ 聞いたりすると 「スゴ−イ!」 「ヨカッタ−!」 っと 感動を 味わうことが出来ます
しかし 本当のところは 打つ人自身が 楽しむ太鼓 打った後の 爽快感を 味わう太鼓 とも 言われています
叩き方など知らなくても ドン・ドン と おっかなびっくり 叩いてみると だんだん楽しくなってきて 次第に 大胆に叩き
だしてしまいます 周りの人達も 盛んに囃したてて 励まし 元気づけ 助けて くれますから 叩き終わると 気持ちの
良い汗をかいています 思いっきり叩けば 少々の悩み や 欲求不満 などは どこかに 吹き飛んで しまいそうです 

 太鼓を叩いて 楽しみながら 大勢の人達との 一体感を 味わうことができるのも 貴重な経験です 
桴を持って 叩いてみて 初めて 上手だ ・ 下手だ ということには あまり関係のないことや 誰よりも 
太鼓を打つ人自身が 楽しみ 且つ 満足感を 味わう ことのできる太鼓だ ということがよくわかります

   * 「 演奏には 起承転結 が必要だ 」 と 思っていました
 上手な人達が叩く太鼓は ゆっくりと叩きだし 少しづつ速くなり ついには 凄い速さになって終わりますから
「 一回の演奏は 導入〜本題〜変化〜終結 ( 起承転結 ) というような 叩く形があるのだ 」 と思っていました
 

 しかし 昔は 集まった人達みんなが ほんのひとっぱたきづつ打っては 交替した のだそうです
上拍子が あまり長く叩いていると 下拍子の方が 狂ったり 止ってしまうために 終わらざるを得なかったようですし
上拍子も 酔った勢いで 叩くことが多く 息切れがして次の人へ ・・・ 打ち損なって次のひとへ ・・・ 
下拍子が 気に入らなくて 次の人へ ・・・ というのが 現実だったようですから 
演奏の仕方などは 問題ではなかったのですが 長く 上手に叩けるようになった人達が 観客を意識するようになり 
だんだん 格好良く 見栄え良く 体裁を 整えて 叩くように なっていった のでしょう

   * 「 打ち終わりは 決まっている 」 と 思っていました
 音を確かめるように 冷静に叩き始めた二人が調子よく叩きながら どんどん速くなっていくと 
聞いて ・ 見ている 方も 思わず 引き込まれてしまいます 
叩いている人達も だんだん 我を忘れて 無我夢中になって 叩く頃には その場の空気は張りつめ 
緊張で息もつけないような雰囲気になってきて 叩く方も 聞く ・ 見る方も もうこれ以上は ・・・・・・ と
いうところまできたときに [ ドン ! ] と 二人が 同時に 叩き終わります 初めの頃は 
「 二人が 叩く前に 打ち合わせをし 終わる前に 合図をするのだろう 」 と 思っていたのですが
 

 即興打ちを旨 としている太鼓では それは無理ですし あらためて 打ち合わせや 合図などしなくても 
叩いている内に その雰囲気で 終わる頃や 「 終わり ! 」 の 一打が 自然にわかるようです
打ち終わるときの 手 ・ 叩き方は 多くの上拍子に 共通している打ち方が あるようですが 初めての相手 と 叩いても
長い経験を持つ 下拍子の熟練者は 最後の音を 聞き逃したり ・ はずしたり することは 決してないようです

   * 「 太鼓節は 上拍子の人が歌うもの 」 と 思っていました
 八丈太鼓の 〔 ほんばたき 〕 を 叩くときに 【 太鼓節 】 という 挿入歌が 歌われることがあります 
情緒あふれる 歌詞 と 節が ほんばたき の 雰囲気に ぴったり合い 太鼓を 引き立てているように 思います 
太鼓の 叩き初め とか 叩いている 途中で 歌われますので
「上拍子 ( 曲打ち ) の人が 自分の太鼓の 叩き方 や 雰囲気 に 合わせて 歌うのだ 」 と 思っていたのですが
 

 昔は 上拍子を叩いている人が 疲れて 息切れしたり 手 ・ 桴が止りかけた時などに 下拍子(伴奏打ち)
の人が 間{ま}をとるように歌い
上拍子の人に 一息つかせ 気分を変えさせて 新たに ・ 再び 叩かせる という
大切な役目を はたしていたようです また 臨時の台に置いた太鼓が 落ちないように ・ 木に吊した太鼓が
揺れないように 側で 太鼓を押さえていた人が歌った とも 言われています
歌わなくても 太鼓は叩けますし どの人が ・ 誰が 歌う という決まりは ないようですから 
歌の好きな人 や 声自慢の人 が 好んで歌っていた ということなのでしょう

   * 「 太鼓節は いっきに歌うもの 」 と 思っていました
 太鼓の拍子に合わせて歌う 【 太鼓節 】 の代表的な 歌詞は
                        〔 太鼓叩いて 人様寄せてナ- わしも合いたい 人があるヨ- 〕 です
「 〔 太鼓叩いて ・・・ と 歌いだせば ・・・ 人がある 〕 まで 続けて歌う のだ 」 と 思っていました

 しかし 昔は二つに分けて歌うのが 普通だったようです 
  
太鼓叩いて 人様寄せてナ( 歌う )  太鼓を叩く  わしも合いたい人がある( 歌う ) 太鼓を叩く ・・・ とか
   太鼓を叩く 〜
前半を歌う 〜 太鼓を叩く 〜 後半を歌う 〜 太鼓を叩く ・・・ というのが一般的だったようですが 
   太鼓節を 四つに分けて  歌ったり 叩いたり を くり返し 楽しむ人 も いたそうです
 
 太鼓節は 太鼓の叩きはじめ に 歌うことも 太鼓を叩いている 途中 で 歌うことも あります 
     歌を一回 ( 本 ) だけ歌うこともあり 二回 ( 本 ) 歌詞を 変えて 歌ったり 
                                         何回 ( 何本 ) も 歌う人も いたようです
 
 【 太鼓節 】は 即興で 自分の想いを 太鼓の拍子に合わせて 歌うこともあり 
             〔 どんな歌詞で 歌うのか 〕 ということも 周りの人達には 楽しみだったようです

   * 「 囃す・かけ声は 下拍子と周りの人達だけだ 」 と 思っていました
 上拍子を叩く人は 下拍子を良く聞き 音がずれないように気をつけたり 次々と色々な手を叩いたり 
間を取ったり 強弱をつけたり と 自分の想いを 表現しょうとすれば 高度な技術を 駆使することも
必要になりますから 大変な緊張 と 集中力 の 持続 が 要求されます そこで 
「上拍子 を 叩く人には 自分で かけ声 を かけたり 囃したり している 余裕はない 」 と 思っていました


 しかし 八丈島で 昔から叩かれている太鼓は ゆるやかな 余裕のある 叩き方 だったようですし たとえ
高度な技術で叩いても 黙って打つのは 「 おし打ち 」 といって あまり好まれ ・ 喜ばれなかったようです
とにかく 酔った勢いで 技術は 二の次として 陽気に ・ 賑やかに 叩くことが 本命なのですから 
太鼓の周りにいる人々はもちろん
太鼓を叩く 本人も みんなと一緒に 賑やかに声を出し 
自分自身を励まし 景気をつけて 太鼓を叩いていたようです

   * 八丈太鼓は 「 文化財に指定されている 」 と 思っていました
 「 八丈島の太鼓は 当然 文化財に指定されている 」 と 思っていました 

 しかし 八丈太鼓は 何の指定も 受けていない のです 【 太鼓節 】 は 八丈島の民謡 として
「 春山節 」 「 ショメ節 」 と ともに 東京都の無形民俗文化財 ( 民俗芸能 ) に 指定されています 

 【 太鼓節 】 は 太鼓の挿入歌として 太鼓の拍子に合わせて歌う唄です 太鼓を叩かずに 【 太鼓節 】 だけが
歌われることは 決してありませんし 太鼓を叩かなくては 歌えない唄が 指定を受けているのに 
どうして 太鼓が 何の指定 も 受けていないのでしょう ? 
太鼓に異常なほどの関心を寄せている者としては おおいに残念なことです 

 資料の中には 『 八丈島の太鼓は 無形文化財に指定されている 』 と はっきり 書いてあるものがあり 
太鼓が指定されていてほしい という願いを持っている私は もう少しで その説の方を 信じてしまうところでした 
また それを資料として書いた と思われるものは 当然 おなじ間違いをしており
このまま 広がってしまうのではないか と 心配になることもあります
                                                          井上洋子 記


 1p 八丈島の太鼓について top  2p 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な 誤解 」
 3p なお 「 なぜ?・ どうして?」  4p 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な 理解 」
 5p 各種文献から 「 気になる記述 」  6p 「 太鼓節 ・ ショメ節 ・ 春山節 」 について


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