X 「 各種文献 」 から 気になる 記述

 
色々な文献に接しているうちに 疑問を感じる記述 や 明らかに 間違っている記述 に 
                                             出会うことがあり戸惑いました 
    ここでは 主に 文化財関係の文献の中から 気になる記述について 取り上げました

イ 八丈島の民謡 「 太鼓節 ・ ショメ節 ・ 春山節 」 について
 1. 文化財関係の文献から
  イ.東京都の文化財    1970年(S.45.)   編集  東京都教育委員会
               (一)1978年(S.53.)    〃      〃
               (二)1986年(S.61.)    〃      〃
   全文 ・
八丈島は江戸時代わが領地の最南端にあって流罪地であり、南国的なところに各地から来た古風な
        節や歌詞が残っている。
太鼓節は太鼓に合わせて踊る盆踊りの一種であり、ショメ節、春山節は
        養蚕時の桑摘歌
で純粋な郷土民謡である。これらの歌や踊りはみな八丈島にあって
        多分に南国的情緒のある、又古風な郷土民謡として珍しい。

 
  ロ.民俗文化財要覧  1978年(S.53.9.)    監修  文化庁
   本文より ・・・
八丈島は、昔は流人や漂着者各地からその芸能をもたらし、又、古来島民は農耕・養蚕に
        たずさわりつつ盆行事等において独特の芸能要素を発展させ、これらのものが複合して
        八丈島の芸能を展開させてきた ・・・

        
ショメ節・春山節は養蚕の桑摘歌として古来の風を伝え、八丈太鼓に合わせて踊る太鼓節などは
        民俗音楽としても価値の高いものである。 ・・・ 

☆  [ 春山節 ] ついては 「正しく 記述 されています」 が
   [ 太鼓節 ]は 「 踊りません 」 し
   [ ショメ節 ]は「 労作歌 」 では ありません

? [ 八丈島の民謡 ] を 調査にきた人が 勘違いを したまま 記録した のでしょうか ?
? 太鼓節は 「 歌う 」 を 「 踊る 」 と 単に 書き間違った だけ なのでしょうか
? イ. については 数度の改訂にも関わらず 加筆や訂正されることなく 同じ記述が 繰り返されています 
     改訂版を出すに当たっては 再調査をして 見直す ・ 手を入れる というようなことは
                                                 しないのでしょうか ???

 2. 民謡の専門書から 「 太鼓節 」 について
  イ. 日本民謡大観 関東篇  1953年(S.28.3.)   日本放送出版協会
     337頁 ・・・
八丈島盆踊 ( 太鼓囃子 ) 八丈島で古くから行はれている盆踊り歌で、最も盛んであったのは
        
島の東南にある樫立村で、踊りの手が一三種もある、細かく刻む太鼓のリズムに連れて踊るので
        
「 太鼓囃子 」 とも呼ばれ ・・・ 日本民謡としては変わり種である ・・・

  ロ. 日本民謡辞典  1972年(S.47.9.)  1980年(S.55.10.)   東京堂出版
     271頁 (***頁) ・・・
八丈太鼓歌 東京都伊豆八丈島の盆踊歌

  
ハ. 東京都の民謡 ー島諸篇ー  1983年(S.58.3.)   東京都教育庁社会教育部文化課
     123頁  4 
八丈太鼓ばやし     盆踊り歌 ・・・
     134頁 86 
八丈太鼓ばやしの歌  祝い歌 ・・・
        
古文書には、1840年以降に太鼓節の記載があるという。 ・・・ 最初は盆行事の中で、行われた
        ものであろう。
一人打ちと二人打ち ( 両面打ち ) とあり 打ち方も ・・・
        打ち込むなど種々夫されている。現在は、坂上の太田大丈夫氏の飛び上がり打ちをする
        「 ますらお太鼓 」 と、坂下の稲田かえ氏と奥山熊男氏の両面打ちの「 おかえ太鼓 」 が、
        八丈太鼓ばやしを代表している。 ・・・

  ニ. 日本民謡大事典  1983年(S.58.6.)   雄山閣出版
     407頁 ・・・
八丈太鼓唄 ・・・ 八丈島の古い盆踊唄で踊の手が一三種もあり、一名 〔 太鼓節 〕 または
        〔 太鼓囃子 〕 〔 八丈囃子 〕 とも呼ばれるように、細かく刻む
太鼓のリズムにつれて歌い踊るもの。 
        
太鼓には上拍子と下拍子とがあり、
        ・・・ 太鼓も唄にも南国的な響きがある。太鼓の両面から急調に打ちながら歌い囃す。

  ホ. 日本民謡大鑑 下巻  1985年(S.60.5.)   西田書店
     227頁 ・・・
八丈の盆踊り唄(太鼓ばやし) 八丈島でもっとも古くから唄われていたもので、島の東南部の
        樫立村一帯はことに盛んである。
踊りの手が一三種もあるといわれ、旋律も南国風の唄である。

☆ 太鼓節の解説が 八丈太鼓や樫立踊りと 完全に混同して記述されています
★ ショメ節・春山節については どれも事実がほぼ正確に記述されています

 3. 郷土藝能と祭礼行事資料  1954年(S.29.2.)     東京都都民室総務部観光課
  
@ 太鼓節 ( ハヤシ )   都の指定郷土芸能     八丈島中之郷村及樫立村
      ( 由来 ) 明治の初期の頃には既に唄いハヤサレていたものらしい。 村人の慰安のために行はれる。
             今も巷間に行はれている。
      ( 時期 ) 宴会 孟欄盆 神祭りの祭等に大人によって行はれる。
      ( 内容 ) 一つの音楽である。伴奏とてないが、それ自体が主楽である。既製品を購入し太鼓一つに
             楽手が二人、どちらかと云えば太鼓を叩く合間に唄う、唄の方が伴奏みたようなものだ。
      ( 歌詞 ) 太鼓叩いて人様寄せて わしも逢いたい方がある
                 囃子 ソラ、ソノテヲカワサズ ウチヤレ、キリヤレハ・ハ・・・・・・・
             三根くらの坂さかまん中で 出船ながめて袖しぼる
                 囃子 ソラ、イマコソタイコノオトダヨ キタマダキタマダハ・ハ・・・・・・・ 
      ( 実施者 ) 神祭りと関係がある二人で行う、好きなもの誰でも行うが、うまうま出来ないので、
              すぐれたものが多く行う

  A しょめ節     都の指定郷土芸能      八丈島中之郷及樫立村
      ( 由来 ) 明治初期の頃には既に唄い踊られ創作者は分らない。村人の慰安のために行はれ、
             今もほとんど変わりなく巷間に唄い踊られる。
      ( 時期 ) 唄はいつも唄はれるが踊りは宴会孟欄等に老若男女を問はず夜多く行はれる。
      ( 内容 ) 伴奏とて別になく音頭取りが唄うか又踊るもの自身も唄いながら踊られる。
      ( 歌詞 ) ・ ( 実施者 ) ー 省略
      ( 器具 ) 衣裳は、主にユカタを用いられ、楽器は別にないが一踊り踊ったあと次の踊りに移る
             休みの間へ太鼓、バヤシを演奏する。

  B 春山節     都の指定郷土芸能       八丈島中之郷村
      ( 由来 ) 明治の初期の頃は唄はれていたものらしい。個人の思いのままに口ずさむもので
              現在も唄はれている。
      ( 時期 ) いつでも行はれるが特に春の季節はこの唄にふさわしい。山や畑、桑摘みの時等よく唄はれた。
      ( 歌詞 ) ー 省略 
      ( 内容 ) 伴奏手なし。  
      ( 器具 ) 衣裳楽器なし。


★ 古い記述ですが かなり現実に近い姿を伝えているようで 好感がもてます

ロ 八丈島 の 「 太鼓 」 に ついて
  イ.女護が島考 ー ー ー 61頁   1981年(S.56.)   未来社
  ロ.流人の島 ー ー ー 136頁   1984年(S.59.)   日本週報社
     
・・・ この太鼓は、無形文化財に指定されており、重要な観光資源として、観光客を喜ばせている ・・・
 
ハ.2000年11月1日 SSKS つばさ NO.47 
      
東京都無形文化財 八丈太鼓 と 写真の横に書いてある

   八丈太鼓は 無形民俗文化財の 指定を 受けていません 太鼓節を歌わなくても 太鼓は叩けますが 
 太鼓を叩かなければ 太鼓節は歌えませんから 太鼓節だけが 太鼓と切り離して 歌われることは 
 絶対と言ってもいいほど ありません ( たとえば 宴席などで 手拍子を打ちながら 太鼓節を歌ったりすることは
 まずありません ・ できません ・ しません )
  太鼓節を歌っているとき 太鼓は静かに叩き 歌い終わると 本格的に叩きます 二本目 ・ 三本目の
 唄を歌うときも 太鼓は軽く叩きながら歌い 歌い終わると 太鼓を精一杯叩きます 
 このように 歌 と 太鼓 を 分けて考えることができないほど 太鼓節 と 太鼓 は 一体の関係 にあります し 
 その関係も 太鼓の方が主ですから 太鼓節が 指定を受けている ということは 当然 
 太鼓も一緒に指定されている と 思った人がいても不思議ではないでしょう

  ハ.管内概要 12頁  昭和43年版  1968年   東京都八丈支庁
  ニ.事業概要       平成 2年版  1991年   東京都八丈支庁
      173頁 ・・・
郷土芸能   ◎ 太鼓ばやし
         上拍子と下拍子の2人で両面から勢いはげしく打ちながら歌う。
         打つ有様は 勇壮で、鳴りひびく太鼓の音は血湧き肉躍る感がある。昔武器を取り上げられた
          流人たちが、そのうっ憤を2本の撥に託して打ち鳴らしたと言われ、正に陣太鼓を思わせるものがある。
        囃言葉は、
           一節 「 ソラ、ソノテヲカワサズ、ウチヤレキリヤレ、ハ・・・・・ハ 」
           二節 「 ソラ、イマコソタイコノオトダヨ、キタマダ、キタマダ、ハ・・・・・ハ 」
             ○ 太鼓たたいて人様よせて、わしも逢いたい人があるヨ〜
             ○ 三根倉の坂、坂真中で出船ながめて、袖しぼるヨ〜
                   (昭和27年都技芸指定)

☆郷土芸能として 「 太鼓 」 と 「 太鼓を叩きながら歌う唄 ( 太鼓節 ) 」 が 共に 文化財の指定を受けていると
  誤解させるような記述が ずっと続けられています

  太鼓を叩くこと ( 演奏 ) を 「 太鼓ばやし ( 太鼓囃子 )」 ということがあります
 ( 叩くことと 歌うことを 分けて考えない ) 太鼓節のことを 文化財関係の文献では 
 「 太鼓節 」 と 書いていますが [太鼓ばやし] と書かれた文献も 多くありますから それを読んだ人が
 打つ方 の [ 太鼓ばやし 」 と 受け取ったり 太鼓節と 太鼓を打つことを 一緒に表現した [ 太鼓ばやし ] と 
 混同するというようなことが 繰り返され 次第に 曖昧になっていった ということも考えられます

  八丈島の太鼓は 他人の叩き方を真似ても ・ 教えられても 全く 同じように 叩くことはできませんし 
 下拍子に合わせはするものの いつも 即興 で叩きますから 当然 叩く度に 違う演奏 になります というように 
 どんな名人の芸でも 受け継ぐことは ほぼ不可能ですから その人一代の芸として 終わるしかない ということや 
 二度と同じには叩けない 不安定な太鼓 だということが 文化財として 指定されない理由 なのかもしれません

 ホ 八丈太鼓の 打ち手について
  ・八丈島 青ヶ島 碑文暮誌集成 1990年(H.2.)10月13日   みずうみ書房
     46頁 ・・・
東京都無形文化財オカエ太鼓 

   太鼓の打ち手を 
人間国宝 だとか 無形文化財に指定されている と 紹介したり 記述されているものが
   ありますが 尊敬の念や 年齢的なものや 技を高く評価するあまり そうなってしまうことがあるように思います

    [ 八丈太鼓 ] も その [ 打ち手 ] も 何の指定も 受けていません
    [ 太鼓節 ] だけが[ ショメ節 ] [ 春山節 ] と共に 無形民俗文化財 ( 民俗芸能 ) に 指定されています
   * 「 八丈島の太鼓について 2pー
個人的な誤解 」 も 参考にしてください
 
☆2003年(H.15)10月1日 八丈太鼓・民謡伝承者 の 奥山熊雄さん が 東京都文化功労者として表彰を受けた  
  
   ・CMC 2000年(H.12.)12月1日 ーーー  財団法人音楽文化創造
      65頁 ・・・ 奥山熊雄 略歴 
東京都無形文化財保持者 「太鼓節」「春山節」「ショメ節」・・・

    もし 東京都無形民俗文化財 ( 民俗芸能 ) に 指定されている 
           八丈島の民謡 「 太鼓節 」 「 春山節 」 「 ショメ節 」 の 保持者 という 意味であれば ・・・
       2002年(H.14.)4月に発足した 八丈民謡保存会 の 会長 ( 浅沼亨年 ) が 保持者です

  ヘ [
八丈島太鼓 ] という 書き方 ( 言い方 ・ 呼び方 )
   ・ 島外で書かれたものには 【 島 】 がついています
   ・ 舞台のプログラムにも 【 八丈島太鼓 】 と 紹介されることが多いようです
   ・ 島民が改まって 話したり 書いたり するときには [ 八丈太鼓 」 です

☆島内では [ 太鼓 ] 即 八丈太鼓 のことですから 
   わざわざ 「 八丈 」 とか 「 八丈島 」 を付けて呼ぶことは ありませんが ・・・   他地方の人からすれば
   [ 島 ] を つけるのが  自然で 当然のことなのでしょう しかし [ 島 ] がついていると 自分が馴染んでいる
   太鼓のことではなく 何処か 他の地方の太鼓 のように感じるのは 私だけではないようです

ハ 太鼓節 「 太鼓叩いて人様寄せて わしも逢いたい人がある 」 について
 
イ.南海タイムス 1987年(S.62.) 6月14日 「 野口雨情歌碑建立 」 の記事の中で
  八丈ばやし 野口雨情補作として この歌詞を 紹介しています しかし 
  野口雨情 が 来島する以前 に 出版された書物に すでに この歌詞 の 記述 があります 
                                           ( 残念ながら 作者は不明) 
     ・ 八丈島 ー ー 49頁   1914年(T.3.) 青木秀虎 ー 國文館書店 
     ・ 八丈嶋仙郷誌 ー 65頁 1928年(S.3.) 黒潮會 
                                         
    * 野口雨情 は 1930年(S.5)8月に来島 八丈島に8日間滞在しました
    *「 八丈太鼓の由来 8pー
八丈島を訪れた四人と一団体 」 の中 [ 野口雨情 ] の項も 参考にしてください
  

                                            井上洋子 記



 1p 八丈島の太鼓について top  2p 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な 誤解 」
 3p なお 「 なぜ?・ どうして?」  4p 八丈島の太鼓に対する 「 個人的な 理解 」
 5p 各種文献から 「 気になる記述 」  6p 「 太鼓節 ・ ショメ節 ・ 春山節 」 について


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