八丈太鼓 と 私

 1970年 ( S.45. ) 3月末 竹芝港の 寒風に震え上がりながら 黒潮丸 ( 496t ) に乗船し 13時間 以上
揺られ続け 一晩中苦しみ続け 胃の中も 腸の中にも 何にもなくなって やっとの思いで たどり着いた 八丈島は 
荒々しい波の中から 鋭く切り立っているように見え 〔 他人を寄せ付けぬ 厳しい島 〕 という 印象を与えました 
底土港は まだ充分に設備が整っていませんでしたし 人影もほとんどありませんでしたから
〔 鳥も通わぬ島 ・ 絶海の孤島 〕 と 聞かされてきたことが そんな印象を抱かせた のだと思います しかし 
 吹く風は ふわっ と暖かい春の風でした 「 さすがは 常夏の島 と 言われているだけのことはある !!!」 と 
何回も 大きく息を吸い込みながら 「 これから この島で生活していくんだな ー 」 不安 と 心細さで いっぱいでした
 見上げた八丈富士を始め この島全体の 緑 ・ 緑 ・ 緑 ・ ・ ・ 鮮やかな緑色が 今も 目に焼き付いています 
「此まで 私が緑色と思っていたのは なんだったんだろう ? これが 本当の 緑色だったんだー!」 と 感動しました

 お世話になった 民宿の庭には 真っ赤なハイビスカスが咲き 道端には シダ類が生え いたるところに 
南国特有の植物が繁っていました 民宿の広間に 小さな太鼓 が おいてあり 自由に 叩けるように なっていました 
それが ・ ・ ・  この島 で 出会った 最初の太鼓 です

 八丈島に移り住んで ちょっとした集り ( 歓迎会等 ) に 招待を受けると 新鮮な魚の 刺身 や たたき には 
舌もしびれる アオトウ が 添えられ カラシ の きいた 島寿司 里芋の煮物 明日葉{あしたば}料理 の 色々 
甘味の てんぷら クサヤ や 焼酎 が 並べられ 必ずと言って良いほど 太鼓 が 置いてありました そして
その場に集まった人々が みんなで替わる替わる 太鼓を叩いたり 島の民謡 ( ショメ節等 ) を 歌ってくださり
酔うほどに 「 オー ちィと 打って見やれー 」         「 打ちやれェー ばァー はたけば 音が出ろわヨー 」
           「ハー あんでもよっきゃー はたいてみやれヨーイ」 とうながされ
           「 はたいて おじゃればー 」 と ばちを持たされ
           「 あれと はたこゴン 」 と 太鼓の前に 押し出されてしまいます
そこで ドン ドンと叩けば 「 そごんどーダラー そイで よっきゃー 」
                     「 アイー きびがわりイー うまそうノー 」
                     「 バアー うまけじゃー 」
                     「 なかなか やろじゃー 」 と 喜ばれ 
              益々その場の雰囲気が盛り上がる ということになります 
       ほろ酔い気分の夫は 酔いにまかせて叩いては 拍手を浴び 
       素面の私は いつもいつも 情けない思いをしていました

 若者達の叩く八丈太鼓を初めて聞いたとき 鳥肌が立つほどに感動し それ以後 
自分でも  「 叩いてみたい !」
       「 少しでもいいから 叩けるようになりたい !」 と 思い続けていましたし なんとか
       「 替わる替わる 叩く仲間に加わりたい ! 」 と いう気持ちもありました

 八丈島に住む以上は 何か [ この島ならではのこと ] と 接していたい 学びたい ・ 身につけたい と思いながらも 
実行に移せないで 数年 経ってしまいました 1977年 (S.52.) 三根の川向に家を建て 子供は兄が四年生 
弟も一年生になっていましたので 三根小学校PTA活動の 太鼓サ−クルに 勇気を出して参加することにしました 
 練習に出かける前から 「 叩けるようになるかな? 」 「 もし 叩けなかったらどうしょう ・・・?」 と 緊張していました
すりこぎを二本持ち 胸をドキドキさせながら 体育館に向かったのを 懐かしく思い出します 35才の秋でした
 当日 集まったのは20数名 ほとんどがお母さん達でした 教えて下さるのは 八丈島出身の浅沼亨年さん 
みんなから 「 太鼓のみっちゃん 」 と呼ばれていました 太鼓の音がするところには 必ずといっていいほど
この人の顔があり いつも 「 楽しくてしょうがない!」 という風に 太鼓を叩いていらっしゃる方でした まず 
亨年さんの下拍子に合わせて 一人一人 自由に叩いてみることになり 他の人達は そっと優しく叩いていましたが 
私はそっと叩くことができないで 「 あのー 思いっきり叩いて いいですか?」 と 尋ねてから 下拍子などには
おかまいなく 強く ドン ドン 叩きましたので 他の人達は びっくりして ・ あきれてしまい その場は大笑いと
なってしまいました この時のことを思い出すと ・・・ 今でも冷や汗がでてきます。 
他のお母さん達は 「 叩けない!」 と  言いながらも 太鼓の音 や 拍子 が 身に ついているようで 
太鼓の前に立つと 自然に 昔ながらの 優しい叩き方 が でてきたのだと思います ところが 私は
「 太鼓は大きな音をだすもの ・ 強く叩くもの 」 と いう印象があって 力いっぱい 叩かずには いられませんでした  
このサークルに参加したことで ずっと 心にかかっていた 太鼓とのつながりが やっとできました

      「 八丈太鼓愛好会 」
 家ではタイヤや座布団を叩いて練習しました が ・・・ 桴は ちっとも思うように動いてくれませんでした 
音楽的な感覚が 備わっていないと言うことは 太鼓の練習を始める前から自覚していたのですが 
本当に 八丈太鼓 が 叩ける ようになるのかどうか 心細い限りでした それでも 「 叩けるようになりたい!」 という
気持ちは ますます強くなってきましたので 次の年の3月 地域で活動している 八丈太鼓愛好会に 入会しました 
そこは 浅沼亨年さんを中心に 数人が集まって 太鼓の練習をしていました ここで もう一人の 太鼓のお師匠さん 
遠藤芳雄さんに出会いました 全く正反対と思える 性格 ・ 太鼓を教える姿勢 の 二人が お互いに尊敬し 尊重し 
協力して 愛好会の活動に 携わって おられるときに 入会 できたことは 本当に幸せでした

       1979年 (S.54.)11月18日  文化パトロール 〈9〉  南海タイムスより 抜粋
  
 『 八丈太鼓愛好会は1960年頃 三根青年学級 ( 社会教育活動グループ ) 内の 太鼓教室が発展して 
  好きな太鼓を通して 心のふれ合いの場をつくろう という主旨で 発足した会だということです 先に上達した人が
  後から来た人を指導する 気楽な集りで 練習場は旧富士中の体育館でした 最盛期には会員が100人を
  越えることもあり 愛好会の太鼓3台を 我先に叩き お互いに刺激し合って 練習に励むと共に 打ち方も
  これまでの叩き方に飽きたりず 競争して 創意工夫したそうです 
  ゆっくり打ち初め 徐々に速く叩いていきながら 全力疾走になって叩き終わる打法は 現在では多くの人に
  好んで使われていますし 「 ほんばたき 」 と 「 しゃばたき 」 をつないで叩く 新しい打法を生んだのも この頃の
  ことだそうです こうして 愛好会は八丈太鼓の一大流行を 島内に巻き起こしました 
  会は 一番古い先輩の浅沼亨年さんと 遠藤芳雄さんが 柱となって 現在までその活動を支えてきています 』

 
発足してから約40年経ち 最盛期には100人を越える会員が活動していたということは ・・・ 
今まで 何人の人達が 愛好会と関わりを持ったことになるのでしょう ・・・ 私が愛好会の会員になったのは
26年前ですから そんなに大勢の会員での経験がありません しかし 練習場を訪れる人々の中に 元愛好会の
会員だったという人が結構多く 懐かしそうに ・ 嬉しそうに そして 上手に叩かれるのを とても不思議に
思っていたのですが 愛好会の先輩の数が そんなに多いのでは 別に驚くことではなかったのです

 浅沼亨年さんの自由の気風が 愛好会の活動の柱となっています 八丈太鼓については この人を抜きにして
語ることができないほどで 「 太鼓のみっちゃん 」 という愛称は 八丈太鼓の技術はもちろん 理論的にも 
八丈島の 第一人者という 尊敬と親しみをこめて 呼ばれているように思います 
練習場での亨年さんは 「 うまい いいよ 上手になった よくやるね 」 と 口からでる言葉のほとんどが 
聞く人を喜ばせ その気にさせてしまう言葉です 初心者の下拍子をしている時は 狂った 上拍子に合わせて
叩いてしまいます そんなことには気がつかない初心者は 「 いつの間に こんなに上手になったんだろう 」 と
錯覚して 張り切って練習している内に どんどん上手になっていきます 
練習が進むと 自然に下拍子に合わせることも できるようになりますし 自分が勘違いをしていたことにも
気がつきますから 特に不都合はないようです とにかく 
技術的なことを 具体的に教えることより まず 楽しい雰囲気で のせて 誉めて 上手にしていく名人です 
上拍子を叩く時は 太鼓の周りまで 楽しい雰囲気になってしまう太鼓を叩いて 聞かせ ・ 見せて下さいます

 愛好会の もう一人の柱であった遠藤芳雄さんは 自分にも 他の人にも 厳しい人で 下拍子の正確さは 他に
類を見ないものでした 練習場では まず 「 だめ !」 です そして 「 なぜ ・ どう 駄目なのか 」 を 説明し 
納得するまで 練習につき合って下さいます 少しの妥協も許されないのですから 教わる方は大変ですが 
技術 は 確実 に 身に ついていきます 
会員の練習を いつも厳しく 耳を澄まして聞いていらっしゃいますので お叱りを受けることが多く たまに 
「 少しよくなりましたね 」 などと言われれば それはもう嬉しかったものです 各地の太鼓にも 詳しく
「 太鼓とは ・・・ ・・・ ねばならない 」 という 持論のもとに 八丈太鼓を理解し 技術を習得されていました 
滅多に叩いて下さらない上拍子は 「 すごい!」 と 表現するしかない迫力 で 辺りを 圧してしまいます
    
 愛好会には さまざまな職業や年齢の人達が練習にきていました 島の人もいますが 島外から 移り住んだ人が
八丈太鼓の魅力に取りつかれ 練習を始める人も少なくありません 毎回 必ず練習に来る人は 割に少ない
のですが 時々来る人や 何かがあると 来る人などで 練習場は結構賑やかです また 島の住人が お客さんを
連れてきたり 観光に来た人が 訪ねてきたり 時には 他の地方で 太鼓を叩いている人が 八丈太鼓の練習の
ために来る人もいます こういう人達からは 学ぶことも多くあり 地味な練習をしている会員にとっては 
良い刺激となります 長い間 練習を続ける人は以外に少なくて 上手になってきて 「 これからが楽しみだナー 」 と
思っていると 姿を見せなくなってしまったり 転勤で やむなく島から出ていってしまう ということも度々です 
特に 練習に熱心で 仲間から頼りにされているような人が 続けていなくなると がっかりしてしまい 心細くなる
こともあります しかし めげないで練習を続けていると 新しい人が加わってきて また活気がでてくる ・・・
ということを 何回も 何回も くり返している ような気がします 

 自分の太鼓が ある程度叩けるようになり 自分がどう ・ どんな太鼓を 叩きたいのかが はっきりするほどになれば 
他の人から 教えられたことも 必要なこと ・ ところを選んで 自分の太鼓に役立てる ことができるようになりますから 
色々な人から 教えを受けるのは良いことですが 一人一人 理解の仕方 ・ 表現の違いがありますから 初心者の
内は 無用の混乱を 防ぐためにも 同じ人に 教えを受ける方が 早く良い結果を得る のではないでしょうか また
 
 一つのことを 長い時をかけて教わろうとするとき その人の持っている技が 高度であれば それだけで充分 と
いうわけにはいきません 技と共に その人の人間性に ひかれるものがなければ 心から信頼して 指導を受ける
気持ちには なりにくいものです 技に敬服し 尊敬できる指導者に 巡り会うことは 技と共に その人が備えている
好ましい面の 影響を受け 吸収する機会に 恵まれる ということですから 初心者にとっては どんな指導者と
巡り会うことができるか ということが かなり重要なことのように思います その点 私は 尊敬できるだけでなく 
技も人間性も 全く異質な 二人の師匠 に 巡り会う という 幸運に恵まれたことを 感謝しています

 35才から太鼓を叩き始めた私からすれば お母さんのお腹の中にいる間から 太鼓の音に馴染んで 育っている
島の若者達は 年は若くても みんな大先輩です その上 太鼓の練習に集まって来る若者達は 本当に気持ちの
良い人達ばかりですから 年齢のことなど まるで忘れて そんな若者達の 仲間でいる ・ 一緒に活動できる ことは 
それだけで 充分楽しいことです もし 太鼓と出会っていなければ こんな幸せな気分を 味わうことはできなかった
と 思います 八丈島に来て 八丈太鼓に惹かれ 年も恥も忘れて 叩いていられることに 感謝して 
いつまでも 愛好会の会員 ・ 若者の仲間 で いたいと思います

      「 太鼓を叩くまでの事 」 「 太鼓の練習 」
 誰でも 始めて太鼓を叩くときから 音を出すためや 桴が扱い易いように 自分で工夫しながら叩きます 練習が
進むにつれて その人の段階に応じてより良い音 ・ 大きい音が出せるよう 左右の桴が充分振れる ・ 扱えるように 
工夫しながら叩きますから 練習を続けていると 自ずと太鼓に対して自分が立つ位置 桴の扱い方 ・ 振り方 
身体 ( 脚 腰 腕 ) の使い方が決まって ・ 一定してきます 身体条件は一人一人みんな違いますから 練習して
行く中で それぞれが自分に合った ・ 効果的な 身体の使い方を見つけ 工夫し 身に付けていく訳です それと
同時に 太鼓を叩き始めるまでの 生活の中で 自然に身に付けたことや 訓練や修練によって 習得したことなども 
太鼓を打つ時に 当然 表れて ・ でてきてしまいます しかも それが 太鼓を打つ上で かなり重要な位置を占める
ことがあるように思います 私の場合は 高校から大学と器械体操に専念し その後 体育の教師として 20数年間
生活していますから 太鼓を叩くときの 身体の使い方 ・ 叩き方などの中に 身体に染みついているものが自然に
出て きます 155cmの身体は そんなに大きくありません ダンスや器械体操で 映える演技をするためには
「 どうすれば 実際より大きく見せることが出来るか 」 「 どうすれば 余韻のある動き 迫力のある演技ができるか 」
ということに いつも悩んでいました 実際の身体よりほんの少しでも 大きく見せる ・ 錯覚させるためには 
関節という関節は目いっぱい延ばし 脚のつま先から手の指先まで はては 脊椎の一つ一つの間までも伸ばす位の
気持ちで 全身に神経を行きわたらせ 身体を余すところなく ・ 隅々まで ・ 伸び伸びと 使うことしかありませんでした 

 太鼓を叩いていると 随分年月が経ってしまった経験にも関わらず つい その頃の感覚が 身体に蘇ってきます 
それに加えて 若者達の叩く 力強く勇壮な太鼓に憧れて 練習を始めたのですから 八丈太鼓としては とんでもなく
乱暴で 荒々しい叩き方 になってしまいました 叩き始めて二十数年経って 「 本来の八丈太鼓は 自分が 今
叩いているような 叩き方 では なかったらしい 」 と ようやく 気がついたものの 一度身に付いた 叩き方 を 
根本的に変えるのは なかなか 容易なことでは ありません

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「 高校生 」 〜 「 大学生 」 〜 →
 全国紙 ? 新聞名を忘れましたの 一番後ろのページ(地方板) 昭和34年1月何日かわかりません) の 記事          
          
 
   
後に続くもの 津女子高校 ・ 体操選手 G  鹿島洋子さん(16)
○ 157センチ、50キロの均斉のとれたからだをもち、かつて世界体操選手権、オリンピックで活躍した
  日本代表 池田敬子嬢を思わす。昨年津東橋内中卒業 津女子高へ入学したが この時なにか
  スポーツをと始めたのが体操競技だった。
○ 以来、一に練習、二に練習の連続、彼女の体操への情熱と、持って生まれた鋭い感がこの二年間で成果を得た。
  この陰には指導に当った同高の池田先生の苦労も大きかった。恵まれた環境こそ鬼に金棒、昨年の高校新人、
  全日本インターハイ県予選、高校総合大会とトリプルクラウンを一手に獲得、一躍県下の体操界に脚光を浴びた。
○ もっとも得意な種目は平行棒、跳馬といった動きの早いもので、そのダイナミックな演技と力強さは定評があり、
  おさげ少女のどこにあのエネルギーがたくわえられているのかと疑うほどだ。この反面、欠点としてからだの硬さが
  指摘され、女性的な平均台、徒手が弱く、得点の上からマイナスになっている。
○ 「 国体は初出場であがり気味でした」 と感想を素直に語る最大のホープ。
  目標は池田、田中、両嬢の演技に一歩一歩近づくことだそうだ。
○ 日常は家事の手伝いと本をむさぼり読むおとなしい文学少女、高校を出たら体操のできる学校へ進学、
  その上で将来の方針を決めたいという。
           
   * 二年生 と 三年生 の 春季大会 ・ インターハイ県予選 ・ 県総合体育大会 ・・・ 連続 6優勝
   * 三年生 東海総合体育大会 ( 静岡 愛知 岐阜 三重 ) ・・・ 四種目 完全優勝
           ローマ・オリンピック 第一次予選推薦出場権を唯一の高校生として得る
           インターハイ (山形) 個人総合四位 ( 跳馬2位 )   *(平均台一回落下)
                

        三 重 桜 30周年記念誌    92〜93頁    昭和58年10月22日 発行 
体操部にとりつかれて    第六回生   井上 ( 鹿島 ) 洋子
 東京から南へ290qの小さな島、八丈にある東京都立八丈高校の体育教師として勤務する自分をふりかえって
みる時、三重県立津女子高校ですごした三年間 ・・・・・ というよりは、体操部で活動した三年間がそれ以後の
私の生き方を決定づけたと言っても決して過言ではないようです。小学校時代は落ちこぼれ気味で、
中学校時代もぼーとすごし、輪切りの進路指導により女子高に何となく入学しました。放課後になると色んな
運動部が活動しているグランドの片隅にマットを出し、ゴロゴロ ゴロゴロ今まで見たこともないことをしている
人達がいました。それが体操部だったのです。数日後、全員がどれかの部に加入しなければならないというので、
第一、華道 第二、体操 と書いたところ、運動系を第二希望に選んだ者はすべてそちらにまわされてしまい、
ゴロゴロ ゴロゴロの仲間入りをすることになり、放課後は勿論、日曜、祭日、夏休み、冬休み、春休みも
練習することになってしまったのです。
 顧問は池田民也先生という三重大出身のバリバリ、前年に新卒で赴任され、体操部はほんの一歩を
踏み出したところだったのですから、私が 「 まるでサーカスみたい 」 と感激して見たのも、実は前転や後転を
ゴロゴロ ゴロゴロやっていたのにすぎなかったのです。それでも私にとっては新しいことばかり、
マットでゴロゴロするだけかと思っていたら、平均台や平行棒、跳馬、床運動があり、しかもそれぞれに
規定と自由があるということが少しづつわかってきました。

 その頃の私は従順だったというか、何も考えなかったというか、いきなりそんな強烈な活動に巻き込まれて
しまいながら「 なぜ?」 とか 「 部をやめよう 」 などということは考えもせず、授業なんかはうわの空、放課後に
なるのを待ちかね,胸をドキドキさせて講堂にかけつけたものです。
まったく初めてのことばかりでめずらしく、出来るとか出来ないなどということは二の次 「何をやるんだろう?」
という興味が先にたち、興奮していたようで、まったく好奇心の旺盛だったことが命とりになったと言えます。

 こうして私は拷問ともおぼしき柔軟運動に耐え、手で地上に立つなどという途方もない課題を与えられ、二本の
棒の間をモンキーのようにとび移ったり、地上より1.2メートルの板の上でジャンプを命じられたり、
障害物をとびこしたり ・・・・・ はては棒切れのような身体にもお構いなく ‘色気を出して, などという
無理な注文まで出されて、びっこをひいたり、腕をつったり ・・・・・ 何しろ “気分爽快、身体に異常感なし”
という日は一日とてなかったような気がします。

 家人は高校に入ったのを機会に家事をしこみ、稽古事をさせて、どこに嫁に行っても恥ずかしくない娘に育て
上げようと期待していましたので、あまりの生活ぶりに驚き 「 女の子が人前で脚を開いたりトンボ返りをうったり
してはしたない!今に片輪になっしまうヨ!」 等々、何かにつけ叱られ、はては口もきいてくれなくなり、
困ったこともありました。 その内県内で優勝するようになり、試合を見に来てもらったところ、それからは、
おかずの分量がふえたり、休日の練習にも嫌な顔をされることが少なくなり、だんだん協力が得られるように
なって、ますますおおっぴらにのめりこんでいくことになりました。

 自分の身体が与えられた課題を少しづつマスターしてゆくことの喜び、そして次々出される新たな課題、
それが大きく難しい程、その後の喜びの大きいことや、充実感の素晴らしさ知ってしまったら、もうだめです。
まるで中毒患者のようなもので、そのまま大学までつっぱしってしまい、今日に至っている訳ですから、
本当に恐ろしいことだと思います。

 54年8月、池田先生御夫妻を囲み体操部の一期生〜二十一期生が集い
「 奥様の全面的な協力があったればこそ・・・・・」 の思いを新たにし、感謝するとともに、夫の足をひっぱり、
それだけでたりず子供の足までひっぱっている私自身の生活ぶりを反省させられたりしました。
 
 八丈島に移り住んだ時から興味を持っていた八丈太鼓のサークルに六年前から参加、若い人達に交じって、
笑われようがけなされようが、練習のある日は夕食の片づけもそこそこに会場にかけつけるのですが、
リズム音痴の上に二本のバチは思うように動かず、「 こんなに言ったら普通の人だったら来なくなるんだけどナー」
と指導して下さる人もあきれる程でした。本人は 「 体操の練習にくらべれば何程のこともないッ、どんなに
下手でも、失敗しても、死ぬ危険はないものネ、それにきびしい先生には免疫ができてるんダ!」 と通いつづけ、
最近は人前でたたいたりすることもあり、その事を、めずらしい経験として楽しんでおります。 後略

   体操競技写真大鑑   399頁   昭和53年7月1日    発行
                                   中日本スポーツ研究会 (文部省検定教科書出版) 発行
                                   監修 ー 日本体操協会  編集 ー 日体スワロー 
              “包帯”凄絶の美

       井上洋子  ( 旧姓 鹿島 )
   三重県出身 昭和17年生 三重県立津女子高校 ---- 日体大 ( 昭和40年卒 )
   現在 都立八丈高校教諭(八丈島在住)

   昭和34年 全日本高校選手権  個人 4位 ( 跳馬2位 )
           ローマ・オリンピック第一次予選出場 ( 高校生では、ただ一人 )
           東海大会 個人総合優勝 ( 4種目とも1位 )
   昭和37年 東京オリンピック第一次予選通過
   昭和39年 全日本学生選手権 団体 ( 日体大 ) 優勝 主将

 高校時代の彼女は、池田民也先生の指導を得て ‘東海に鹿島あり, といわれたくらい素晴らしい成績を上げた。
そのころ地方指導に来られた池田敬子先生から 「 日体大へきなさい 」 と言われ、喜んで日体大へ進学した。 
日体大に入学した昭和36年、合宿で左膝靱帯切断の大けがをしてしまった。しかし、彼女は、これに屈せず
ねばり強く努力をした結果、翌37年には東京オリンピックの第一次予選に通過した。
ところが、ここで又けがをするという最悪の事態に見舞われた・・・・・・。
彼女は、あり余る技能的才能、不屈の根性、そして高い知的教養をもちながら、けがに次ぐけがで、遂に
その大器を開花させることができなかった。女子体操界における最も象徴的な ‘薄倖の佳人,であろう。

             

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練習を続けていくと たとえ 少しづつではあっても 新しい技を 自分のものに していくことができます それは 
ほんの些細 な ・ 簡単な技であっても 嬉しいものですが 特に 高度な難しい技であったり 長い時間かかって
苦労して やっと自分のものにできた時などの 喜びと満足感は とても大きいものです 未知のものを徐々に 
自分のものにしていく喜びは 器械体操も 太鼓も同じように思います

 器械体操の試合では 失敗や無駄な動きは 減点の対象となりますし 美しさも大切な要素です 
太鼓の演奏も できれば 明らかな叩き損ない ・ 失敗のないように 無駄打ちを少なくして 
できるだけ 美しく叩きたい と思います 
 器械体操では いくら高度な技であっても ただ単に 技を羅列するだけでは 高得点を得ることはできません 
どのように 組み立てて 演技するか ということも大切なことです 
 同じように 太鼓の演奏についても ただ単に 下拍子に 合うように 叩くだけでは 良い演奏となりませんから 
全体の流れについても 工夫を 重ねる ことが 必要だと思います
 器械体操は 冷たい器具と自分だけ 又は たった一人で 審判と観衆の前で 演技しなければなりませんから 
本番前のプレッシャーは大変なものです そこで 気の弱い人などは なかなか実力を発揮できないのが現実です 
その点 太鼓は 下拍子という 頼りがいのある仲間と一緒ですし まして 技の確かな 信頼出来る先輩や師匠に 
助けられながら 叩くのであれば 気持ちの上ではずいぶん楽です
 演技や演奏が 日頃の練習の成果を遺憾なく発揮して 自分の思い通りに 首尾良く終わった後の 充実感 ・
爽快感は 何とも言えないものがあります その上 観客から拍手が湧き起こったり 審判から高得点が
与えられれば それが大きな励みとなり 新たな ・ 次への 意欲を湧かせる原動力にもなります 
  
 器械体操に怪我はつきものですし 恐怖感がつきまとう技もあります 太鼓の練習を始めてから数年 あまりの
進歩の遅さに 仲間や師匠はあきれはて メチャメチャに くさした挙げ句 「 こんなに言われたら 普通の人は
とっくに来なくなってるよなー」なんて笑われても 他の人に 呆れられるくらい たいしたことではありません
「 太鼓を叩いてて 死んだ人はいないもんナ 」 と開き直って せっせと練習に通い続けました 

 練習に出かける時は 「 今日は あれと これと 」 と たくさんの課題を抱えて出かけるのですが 実際はその中の
一つか二つに 取り掛かれれば良い方で 全然手が付けられずに 練習が終わってしまうこともあります 
帰り道は 「 あれもできなかった・・・」 「 これもやらなかった・・・」 と 悔しくて暗い反省ばかりです 出かける時
意気込みに比べ がっかり ・ しょんぼり しながら 帰って来ることの方が 圧倒的に多く そんな時は 
心も体も変に疲れて 自分が嫌になってしまいます たまには 満足して 意気揚々と 帰って来ることもあります 
そんな時は どんなにひどい疲れを引きずって 練習に出かけた時でも 帰りには 身も心も爽快になっており 
いやいや練習に出かけたことさえ 忘れてしまっているほどです

 練習の中身を 充実させることが出来るか どうか と いうことは 勿論 自分自身に責任があるのですが 複数の
人数で練習していますし 二人で組まなければ 練習できませんから 自分の思い通りにばかりは ならないものです 
そんな中で 少しでも 「 良い時間が持てた ・ 良い練習が出来た 」 と 満足できれば良いのですが 
その日の練習が 満足に終わるか ・ 不満足に終わるかは 練習が終わってみなければ わかりません 時には 
大先輩が練習に姿を見せたり 他の地方から 珍しい人が訪ねてきたり 仲間の太鼓が急な変化を見せたり 
という刺激的なことが 練習場でおこることがあります そんな事を 後から聞かされると その場に居合わせなかった
ことが本当に悔やまれますから 疲れていても 気が進まなくても 毎回 必ず 練習に 参加している必要があります 
それに 練習に参加していれば ひょっとして 【 すごい満足を得る練習が 出来たかも知れない !】 という
危険性も 大いにあり得るからです

 自分が太鼓の前に立っていなくても 他の人の叩いているのを聞く ・ 見るのも楽しいものです 自分以外の
人からは 初心者 熟練者の別なく その音や 姿から 得るもの がたくさんあります まして 島に生まれ
育った人が叩いている時は 他の人としゃべったり  目を離したり していることはできません 
 後から練習を始めた人が どんどん上手になりながら 自分が登ってきた階段を 同じように 悩んだり 一段
上がったり するのを見ていると 「 苦しいだろうな 」 とか 「 やったね!」 などと 思わず声をかけたくなってしまいます 

 思うようには叩けなくても 夢中になって練習に取り組んでいる頃は 日常生活の中から聞こえてくる様々な音 
例えば 雨垂れの音 洗濯機の回っている音 工事の音や 水道から雫の垂れる音などが 太鼓の拍子と重なって 
聞こえてくることがあり いつの間にか 耳を澄まし 心の中で拍子をとっていることがあります 
どこかで 太鼓を叩いているのか と 錯覚するほどです 

 練習につれて 次々と技術的な疑問が湧いてきますから 「 すぐに 適切な解答が欲しい 」 という気持ちに
なりますが その疑問を 心に留めながら叩き続けていると 練習の中から 自然に 解答が得られることがある
ものですし 自分と同じような疑問を持ったり 悩みを通りこしてきている 先輩達の 何気ない雑談の中に 
自分の求めている答えがあり 教えられる ということもあります 他の人に尋ねれば 簡単に 解答が得られる
ことは多いのですが 私の場合は その解答を 自分のものとして 実感出来るようになるには 話を聞いて ・
教えられてから 随分 時が経ってから のことが多いのです また 他の人が 叩いているのを 間近で聞いて ・
見ていても 音楽的な感覚の 欠落している私には 残念ながら どんな拍子で叩いているのか なかなか
聞き取ることが 出来ません それでも ある時 それまで聞き取れなかった拍子が 急に はっきり ・ 鮮やかに
耳に飛び込んできて それを 真似ることが できるようになる ことがあります ・・・ ということは 
他の人から与えられた答えを 自分のものとして 実感するのに 時間がかかるのと同じように 聞き取りたい ・
真似たい ・ 盗みたい と焦っても それがわかる段階 ・ 実力に達していなければ いくら聞いても聞き取れない
ようなのです 自分が 何時 その疑問に対する 解答の得られる時期に達するのか ということは まったく
見当がつきませんから とにかく 「 叩き続けてさえいれば きっと 納得 ・ 理解できる時期がやってくる 」 と
信じて 注意深く 練習 を 続けていく しか ありません

 練習を始めると 八丈太鼓について色々なことを知りたいと思うようになりました それまでは何気なく聞き逃して
いたことも 自然に耳に留まるようになりました 単に 八丈太鼓の事だけではなく 他の地方の太鼓の事や
太鼓全般についてまで 関心を持つようになったのには 我ながら驚いてしまいます

     
 イ 身体のこと
 いつも気力 ・ 体力ともに充実し 元気はつらつと していれば良いのですが なかなかそうはいきません でも 
疲れていたり 少し位 体調が悪くても 練習に出かけさえすれば 帰ってくる頃には 大抵すっきりしています もし 
思う存分叩け 満足出来る練習ができたときは 疲れや 体調の悪さ などは すっかり 忘れてしまっているものです 
風邪などの快復期には 太鼓の音を聞いていると だんだん元気がでてきて 自分でも叩きたくなってきます 
こうなれば もうしめたもの 思いきって叩けば すっかり快復してしまいます 

 太鼓は 軽く叩いただけで簡単に音がでますが 小さい音 ・ 軽い音 ・ 細かい音でも 歯切れ良く 明快な音を
出そうとすれば 全身で桴を扱うことが大切です 大きい音や 深い音が出したい ・ 欲しい からといって ただ単に 
むやみに 力いっぱい ・ 強く 叩いただけでは 決して出したい音 ・ 欲しい音 は得られません すなわち 
身体の内側から湧き起こってきた 想い ・ 動き が 全身の動きとなり それが 桴を通して太鼓に伝わった時に 
始めて心地よい音 ・ 欲しい音が出ます いくら心を込めて 精一杯叩きたいと思っても 膝がガクガクし 腰が
ふらついてしまうような 身体のなまった状態では 気合いのこもった一打を 太鼓に打ち込むことなど 到底
出来ませんから どうしても 小手先で桴を扱う表面だけの太鼓になってしまいます ですから 本当に気持良く
太鼓を叩こうとすれば もちろん拍子の工夫も大切ですが 身体 特に 脚 ・ 腰 を しっかり鍛えておかなければ 
せっかく苦労して 工夫した拍子 も 思い通りに 叩ききる ことはできません

 叩き続けていると 肘 肩 手首 などを痛めることがあります 肩が痛くて 腕が上がらず 桴が思うように
れなかったり 叩くたびに痛みが走ったりする時は 練習に行くのが辛くておっくうになりますが 病院に行っても 
長時間待たされてレントゲンを撮り 「 異常なし 」 湿布をして 「 練習を休みなさい 」 と 言われるだけなのは
わかっていますから できるだけ練習を続けながら 乗り切るようにします 痛い部分をかばって練習するために 
悪い癖がつくという心配もありますが 利き腕を痛めたために 反対の腕が いやでも鍛えられて いつの間にか 
良い音が出せる ようになっていることに気づき 驚くこともあります

     
 ロ 実際に叩く以外のこと
 一回の練習が終わる 練習日記なるものを これも器械体操の練習をしていた頃の癖でつけています 主に 
その日の反省と 次の練習に向けてのことを書きますが 太鼓に直接関係のない事も思いつくままに書きますから 
偏った日記のようなものです 後から読み返すことは殆どないほど 実にたわいのない事を書くことが多いのですが 
時にはしみじみと 悩みなどを 書き連ねることもあります 書くことがなくて 「 そんなつまらない練習をしたのかー 」 と
反省することもあります 嬉しさを文字に表せない 時もありますし 工夫した拍子を 何ページにも渡って書き付ける
ときもあります 次の練習のためになればいいと思って書くのですが 実際には役に立たないことの方が多く 
無駄なことをしているようですが 書いている時は なかなか楽しいものです 
書いたその物は役に立たなくても 書くことによって 自分の中で整理される作用があるようで それがきっかけと
なって 徐々に 霧が晴れてくることがありますから やはり書かずにはいられません ほんの些細な ・ つまらない
反省でも 書くことで 区切りがついたり 「 うかうか練習していてはいけないゾ 」 と 自戒する効果もあるように思います

 テープも時々利用します 練習の 初めから終わりまで テープを回しておく こともありますし 自分の叩いている
時だけ 録音することも あります また 自分が目標にしている人の演奏だけを 録音する時もあります 
部屋の掃除をしながら テープを聞いていると 元気もでてきて 仕事もはかどります ついでに それまで
聞き流していた 拍子の中から いきなり 気になる拍子が 耳に飛び込んできて びっくりすることがあります 
複雑な拍子で どう叩いているのか わからなかったのが 「 そうだったのかー 」 と わかるときや 
単純な 拍子 ・ 手 なのに その時は とても面白く聞こえ 自分でも 叩いてみたくなる ことがあります

 最近は ビデオという 便利なものができ 目で見て 自分の欠点を知る ことができるようになりました 
自分では 格好良く叩いている と 思っていたのに 肘が 曲がっていたり 桴が 上がっていなかったり 
嫌な癖が はっきりと映しだされていると 他の人に 言われた ・ 注意された 位では なおらないことも 
本気になって 改善 ・ なおそう と 決心させるほど 効果があります

     
 ハ 性格
 八丈太鼓には ゆうきち ほんばたき などの叩き方があります 人によって 好きな叩き方 ・ 合う叩き方 があって 
その人の性格と 関係があるように思います 色々な拍子 ・ 手を 次々と 変化させながら すごい速さで打つ のを
好む人と  あまり色々な拍子 ・手は 叩かず じっくり ゆっくり打つ のを 好む 人がいます また 太鼓の前に
立っただけで 周りを楽しくさせてしまうような人が いるかと思うと 生真面目に ・ 正確にしか 叩けない人もいます

 太鼓を叩いているのを 聞いて ・ 見ていると 「 性格というのは 自然に表れるものだなー 」 と 感心してしまいます 
他の人が叩くのを聞いて ・ 見て そんな風に思う ・ 感じる ということは 「 自分が叩いている時は 自分の性格が
他の人の目にさらされている ・ 明らかになっている」 ということに 気付くと 冷や汗がでてしまいます

 我儘で頑固という 自己中心的な性格は 常に自分を押さえ ・ 殺して 相手に奉仕することに徹する 下拍子を叩くの
には向いていません 伴奏の役にも関わらず 拍子の中に 我がでてしまったり 勝手に早くなってしまったりするため 
上拍子の人から嫌がられました 後から練習を始めた人が 先に 先輩達の下拍子をさせて貰っているのを見ている
のは つらいものでした それでは 上拍子に向いている性格なのかというと 残念ながらそうでもないのです 
下拍子を無視して叩いたり 下拍子に合っていないのに 平気で叩き続けたり 要するに 八丈太鼓の大きな
特徴である 下拍子の必要性が なくなってしまうのです ある人は 意識しなくても 自然に八丈太鼓に添った
叩き方が出来るのに 私は 性格の悪い分だけ 余計に苦労しなければなりませんでした できることなら 
我が儘だったり 頑固だったり という嫌な性格は 他の人のには知られたくないのですが ・・・・・ 
一旦 太鼓を叩きだしてしまえば 打つことに夢中になってしまい それらのことは すべて忘れてしまいますから 
一生懸命叩けば叩くほど 叩いている人の中身が さらけだされ ・ 表れてしまう ということは 本当にやっかいな
ことです どうしても 自分の打つ太鼓に 自分の性格がでてしまう ということであれば 自分の悪い ・ 嫌な性格から
目をそらさず 少しづつでも 改善する努力を 続けていくしか 解決の方法は ありません

     
 ニ 止めたくなる理由
 
八丈太鼓を叩くことを趣味とすることで 充実した時を持ち 満ち足りた気分になり 本業や 日常生活の 中での
イライラや 欲求不満を 解消して 新鮮な気持ちで 本業や 日常生活に 取り組めるのではないか と 期待して 
太鼓を叩き始めたのですが いざ 叩き始めてみると 好きなこと ・ したいことであっても そんなに楽しいこと
ばかりでは ありませんでした そればかりか なまじ 叩き続けている故に 悩みが増す ということもあります 
ちっとも 楽しめないばかりか 苦しくなって 止めたくなることもあります

 感覚が鋭く器用な人は 難しい拍子も そんなに苦労しないで叩けるようになりますから すぐに上手になって
しまいます あまり苦労しないで叩けるようになるため かえって 興味を持続させるのが 難しいということがある
のかも知れません 八丈太鼓は 二人で叩かねばなりませんから 拍子について 感覚の鈍い ・ 不器用な相手 と
叩かなければならないような時は 不満足な気持ちが強く残るため 面白くなくて ・ 楽しめなくて 止めていく と
いうことがあるのでしょうか? 確かに 大変不安定な状態で 叩く太鼓に対して あまりにも敏感に反応してしまう
感覚を 持ち合わせている人にとって 叩き続けることは 苦しいことの方が 多いのかも知れません 
このような 贅沢な悩みとは まったく縁のない私としては 想像をしてみるしかないことです

 感覚に恵まれていない人 ・ 不器用な人は なかなか叩けるようにならないので 途中で止めてしまう人がいます 
一緒に練習を始めた人が どんどん叩けるようになっていったり 後から入って来た人が 先に進んで行ったり
すれば 練習を続けるのが 嫌になってしまいます 暗くて寒い時期や 疲れすぎていると 練習に出かけるのが
億劫になりますし 少しの進歩も 何の刺激もなく 練習を続けているときに 「 こうして太鼓を叩いていて 
何になるんだろう?」 などと 考え始めると 止めてもいいような気持ちになります というように 
練習を止めたり 止めたくなる理由 は 誰にでも 簡単に 見つかります

     
 ホ 悩み
 疲れた身体にむち打って 練習に出かけたにも関わらず 心地よい汗を流して さっぱりしてしまう時や 良い練習が
できたことで くよくよ考えていたことまで 「 なんてつまらないことで 悩んでいたんだろう ・・・ 」 と 思えることも
ありますし 充実した時間が持てたことで 悩みのとらえ方が変ったり 解決の手がかりを掴んだり する時もあります 
そんな 幸運な時 ばかりであれば 問題はないのですが 時には まったく逆で 消極的な練習しか出来なかったり 
叩いても ぜんぜん調子がでず 日頃の 悪いところばかりがでてきてしまい 師匠から厳しいお叱りを受けたりすると 
帰り道は 身体の疲れも 倍増しているように 感じてしまいます 「 何をやってもだめなんだ ・・・」 と 暗い気持ちになり 
悩みまでも 大きくなっているように 感じてしまう時もあります 趣味として 気晴らしに 楽しく叩いているはずの太鼓が 
実際は 日頃の 悩みの種 に なっている ことが多い ということは 皮肉なことです 

 太鼓の練習を始めるまでに 手がけた楽器は ハーモニカ 木琴 ピアノ位しかありませんが どれも心の中に
深く 深く 劣等感を植え付けてくれた だけで終わっていましたから 太鼓が 叩けるようになるには とてつもなく
時間がかかり 苦労するだろうということは 練習を始める前から覚悟していました はたして 予想通りというか 
予想以上に ひどい有様でしたから お師匠さんや先輩に 呆れられてしまいましたが それでも はりきって
遅々として進まない 練習に 通い続けました
 後から練習を始めた人達が 複雑な拍子を叩きこなして 先に進んで行くのを ただうらやましく見ているしか
ありませんでした 音楽的な感覚に欠陥があるだけなら まだヨカッタのですが 下拍子の練習をさせて貰えるように
なってから 八丈太鼓を叩くのには 向いていない性格だということも 次第にわかってきて 
これには 本当に がっかり してしまいました

  八丈太鼓は酒の席で叩かれることが多いため 酔った勢いで ひょうきんな身振りで まるで踊るようにして叩き 
周りの人達を楽しませ 堪能させる打ち手がたくさんいます 「 真剣でスゴイ太鼓も良いけれど あんな楽しい
太鼓も叩きたい!」 と思っても とても真似ができそうにないことも 生来の性格が邪魔をしているようです

     
 ヘ 女性である私が叩く
 
八丈島に生まれ育ったか もっとずっと早い時期に 八丈島に来ていれば ・・・ 〔 脚を大きく開いて叩く 〕 ことなど
考えつきもしなかったでしょう 愛好会が 〔 八丈太鼓を昔のままの叩き方 ・ 姿で保存する 〕 という 
閉鎖的な会であれば 脚を揃えて叩くように 教えられたことでしょう ところが この会は 「 今までは ・・・ 」 とか 
「 昔は ・・・」 と いうようなことに あまり固執しないで 会員が新しい試みをしたり 
八丈太鼓から かなり離れているような叩き方に挑戦していても 許されるのです そんな 自由な雰囲気の中で
叩いている内に 「 思いきって 脚を大きく開いてみたら ?」 ということになりました 脚を大きく開くことや
腰を落とす事 重心の移動 などは 器械体操の経験から 特に 抵抗は ありませんでしたし 
大きな音が欲しい という願いからすれば 叩き易い 構え に なったのですが 
女性である私が叩くのに

     男性と同じように叩いても 意味がないのではないか ?
     優雅な叩き方が 叩けるようになる方が 良いのではないか ? と
                                             思うことも 度々ありました 
しかし 八丈島の女性達は それは 優しく 柔らかく 愛らしく 叩きますから そんな 島の女性の叩き方を真似する ・
自分のものにする 方が 私には似合わない ・ 難しいということがわかってきてからは 
心おきなく 脚を大きく開いて 叩くようになりました 「 男か女かわからないだろうなー 」 と 思いながら叩いても 
心配するほどのことはないようで 太鼓を聞く ・ 見る人達の関心事は 打ち手が 男か女か ということより 
どんなに精一杯叩いているか ・ 良い太鼓を叩くか ということのようです

 
‘みやらび太鼓,の演奏者として活躍中の 川田公子 ( 琉球音楽家の家に生まれ 琉球舞踏家になるべく育て
られたが 末っ娘であるところから 太鼓伴奏を受け持つことが多かった ) さんは
[ たいころじい 3 ] の中で
「 女性だから、女性特有の優しい表現から、力強い男性的な表現まで でき得る 」
「 太鼓を打つ、のではなく、鳴らすことがしたい 」 と 語っています

 [ ザ・太鼓 ] で 写真家 森田拾史郎氏は 「 彼女は、男世界の太鼓の中にあって、男性には出せないような音の
世界を作り出し、男とは違った、スタミナ配分と姿態の美しさは、男が太鼓へ肉弾で体当たりする、
油ぎった姿ではなく、太鼓と共存するような人間美を見せつけてくれた 」 と 川田公子さんのことを評し
います 
     ということは ・・・・・    
                私にも そんな可能性が あるかも 知れない ではありませんか ・・・・・

     
  ト 人前で叩く
 練習を続けていると 練習場以外で 太鼓を叩く機会が与えられるようになりました 船の出迎え 見送りや 民宿 
盆踊り 老人ホーム 等です 身体さえ空いていれば 喜んでついていきました 練習を見ている師匠が誘って
下さるのですから 自分で 上手だ ・ 下手だ 資格がある ・ ないなどと 考える ・ 悩む 必要はない と思ったのです
「 私でも構わないから 声を掛けて下さった 」 と 解釈し 上手な人達の合間に 叩かせて戴きました 
人の前で叩く ・ 聞かせる ・ 見せるのは 普段の練習とは 全く違った経験です 下拍子を頼りに 叩きながら
「 一回だけの演奏で 実力を発揮するというのは 大変なことだな 」 と思いました その内 ホテルなどでも
叩かせて貰えるようになり 舞台の袖で控えていると 先輩達の叩く太鼓が すごい迫力で迫ってきます 次に
自分が叩くのだと思うと その場から 逃げ出してしまいたくなることもありました 名人達の耳や目は決してごまかす
ことはできませんから 本当に恐かったのです その先輩達が 私の叩くつたない太鼓に 囃し や かけ声 を 掛けて
下さるので 「 こんな贅沢なことがあっていいんだろうか ・・・」 と感激 感謝しながら それは緊張しました

 名人達が太鼓を叩きだすと どんなにザワザワ ガヤガヤしている座でも みんなが太鼓に集中してしまいます 
たとえ少ない観客でも どんなに条件の悪い場でも 力の限り ひたすら 太鼓を打ち込む先輩達の姿は美しく 
誇りに 思うとともに 見習わねばと頭が下がりました

 島の人達は奥ゆかしくて 名人と自他共に認める人でも めったに 進んで人前で叩いたりはしません 自身が
酔っていたり その場の雰囲気が盛り上がらないと 太鼓を叩く気持ちになれない のかも知れませんが とにかく 
気軽に叩いて聞かせて下さる方は 少ないのです そんな中で 練習を始めたばかりの私が 人前で叩いたりする
のは とんでもない事なのですが 「 下手なのはしょうがない 与えられた機会を大切にして 一生懸命叩こう 」 と
精いっぱい 叩くことだけ を 心がけています 
観光客は 下手な太鼓にも 拍手をして喜んで下さいますので 練習とは 又 違う喜びを味わうだけではなく 実力の
なさをつくづく 思い知らされることもあり もっともっと練習しなければ ・・・ 上手になりたい ・・・ と 切実に思います

     
 チ 喜び
 練習の成果が挙がらなくて がっかりしているような時に 練習を始めた頃のことを思い出すと
「 全然 叩けなかったんだー 」 「上手になったじゃーない!」 と ちっとも叩けない ・進歩がない などと 
くだらなく 落ち込んでいた自分が 恥ずかしくなり 「 これからも がんばろー 」 という気持ちになります

 八丈島の太鼓は力一杯叩いても 叱られることはありません 打楽器といえども こんなに遠慮なく叩ける
楽器は他にないでしょう 何もかも忘れて太鼓の前に立ち 思いっきり桴を振って 叩き終わった時は 快い汗を
かいていますから 気分は爽快 少々の悩みや疲れは 何処かに吹き飛んでいってしまいます 
特に快調に叩けた時などは 深い満足感 ・ 充実感に満たされ 幸せな気分に浸ることができます そして 
困難な課題にも 挑戦できそうなほど 強気で 意欲的に なっているのも 不思議です

 一年にほんの数回あるかなしという位の ごくわずかな回数 ・ 機会なのですが なんとも例えようのないほど 
気持良く 実力以上に叩ける時があります そんなときは 身も心も解放されて充実感で一杯になります また 
これも本当に希なことですが 太鼓を叩いている時 周りにいる人達 みんなと一緒に叩いているような 不思議な ・
奇妙な一体感を味わうことがあります そんな時は 息も切れず 疲れも知らず いつまでも叩いていられる ・
叩いていたい というような気持ちで 桴を振っています 叩き終わったときは 「太鼓を叩き続けてて よかったー」 と
それまでの苦労なんか どこかに吹き飛んでしまいます しかし こんな幸せは 滅多に ・ 殆ど ない のです 
でも ・・・ 「 ひょっとして 又 あの幸せな気分が 味わえるかも知れない 」 
      「 もう一度 あの 幸せな気分を味わいたい ! 」 と 思って叩き続けているような気もします

 新しい人が増えてくると 実力は伴わなくても 先輩として 初心者の練習につき合わねばならなくなります 
自分の経験から 初めから あまり細々と教えるよりも 叩く機会の多い方が 効果的だ と思っていますから 
上拍子の練習をしている人が 気が済むまで 下拍子を叩き続けてあげることを 第一に心がけています 

 初心者の下拍子を叩くのは 自分と技の釣り合っている人か 自分より上手な人の下拍子を叩くのとは 
まったく違う大変さがあり 忍耐力がたっぷり要求されますから 初心者の下拍子を叩いていると 私のために
黙々と下拍子を叩いて下さった 多くの先輩達のことを思い出さずにはいられません そして あの頃とは 又
違った感謝の気持で一杯になります 先輩達に苦労させた私が 今 後輩のために下拍子を叩いていることに
驚いたり 喜んだりしながら 後輩が少しでも叩きやすいように 気を付けて 丁寧に下拍子を叩かねばなりません 
初心者が だんだん上手に なっていくのは 自分が上手になっていく 喜びとは また ひと味 違った 喜び です

 宴席などで叩く太鼓は 酔いにまかせて叩く太鼓が主ですから その場の雰囲気に溶け込んで叩くことが
できれば最高です 拍子の個人の癖 ・ 特徴 ・ 地区による違いにも合わせて 上拍子が叩けたり 
上拍子の人の 好きな ・叩き易い 下拍子 が 叩けるほどの 技 を 身につけることができれば 
そんな場での 喜びの幅も ぐん と 大きく なる はず です
                                            井上洋子 記
                                                          つづく


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