「 技術的 な こと 」

 現在のように ラジオ テレビ カラオケ のような手軽な娯楽もなく つつましい生活を送る中で 何かの折りに
人々が集まって にごり酒を飲み 一つの太鼓を かわるがわる打ち鳴らし 唄を歌ったり 踊ったりするような
雰囲気の中で 叩かれていた太鼓は その場が 楽しく盛り上がるように 叩くことが 好ましく みんなから喜ばれた
のではないでしょうか ですから わざわざ練習して 上手に叩けるようになろう などと考える人は いなかった と
思います ところが昨今は そんな 和気あいあいとした場で みんなが叩く太鼓は だんだん 少なくなって きています

 最近は あちこちの地方で 太鼓のグループが 活発に活動していますし 発表も 盛んに行われています 又 
テレビ等で 一般の人達も 太鼓に接する機会が 増えていますから 当然 観客の 耳 も 目 も 肥えて きています 
そこで 聞く ・ 見る人が 感動するような太鼓を 叩こうとすれば かなり 高い水準の太鼓を叩かなければ とても
喜んでもらうことなど できませんから 昔からの太鼓 ・ 民俗芸能の特徴ともいえる 泥臭さの染み込んだ太鼓が 
練習を重ねることによって どんどん 洗練された太鼓 聞かせる ・ 見せる太鼓 になってきています

      イ 下拍子
 下拍子の練習は本当に苦労しました 今も 苦労し続けています 八丈太鼓の下拍子は 上拍子 ( 曲打ち ) に直接
影響を与え その出来 ・ 不出来 まで 左右してしまう 大きな力 を 持っています そんな 重大な役割 を 担っている
下拍子そのものが 決して単純な打ち方ではありません 二拍子 三拍子 四拍子 と 音楽的に正確な音符で
書き表す ことができない 微妙 な 間 { ま } を 有しているのです 
例えば 「 ゆうきち の下拍子 は ドン・ド・コ・ 」 と 教えられても ドン・ と ド・ の あいだ ド・ と コ・ の あいだ には
言葉 では 表せない 間 { ま } が あり これは すぐには 叩くことが できませんから 練習を続けながら 
先輩やお師匠さんの耳に 納得できるようになるまで なおして貰ったり 私の叩く 不安定な下拍子に合わせて
上拍子を叩いて貰い 叩きにくいところ ・ 気になる ところを 指摘 して もらったり します 
そういうことを繰り返しながら だんだん微妙な間の感覚が 身に付いていきます 
 間だけでも大変なのに ドン・ド・コ・ という 3つの音は それぞれの強さ ・ 大きさが みんな違います 
一般的に説明すれば ドン・ は 強く大きく ド・ は普通 コ・ は小さく 軽く叩く ということになりますが 
ドン・ だけが やたらに 大きく 強くても ド・ が ドン・ の 付け足しのように曖昧になっても コ・ が小さすぎても 
大きすぎても すべて駄目なのです 上拍子は ある音が 強すぎたり 弱すぎたり 聞こえにくかったりすると 
その どれにも 影響 を 受けて しまう ため 気持ち良く 叩くことが できない のです

 下拍子の練習を 始めた頃は  自分では 同じ速さで 叩いているつもりでも どうしても 速さに むら が 出来て
しまいます 同様に  どんなに 音の 強弱 や 間 について 気をつけていても どうしょうもなく乱れてしまいます
 少し下拍子が叩けるようになると 先輩の下拍子に 挑戦します 初めの内は 大体ついていけなくなります 
頑張って叩いても 「 遅くなった 」 とか 「 勝手に速くなっていく 」 「ドン・ が強すぎる 」 「 ド・ がいい加減だ 」
「 コ・ が強すぎる 聞こえない 」 と さまざまな注文が出されますが すぐに 言われた通り に 叩くことは
無理ですから 繰り返し 繰り返し 練習する他はありません
 もう少し叩けるようになると 先輩の上拍子に 何とか付いていけるようになります 自分では
「 上手になった 」 と 嬉しくなりますが 【 上拍子の人が 我慢して叩いてくれている ことの方が ずっと多い 】 と
心得ておいた方が よさそうです
 もっと叩けるようになると 先輩が 上拍子を 本気で 叩いてくれるようになります 「 先輩の下拍子が
できるようになった 」 と 思っても まだ 上拍子が 本当に気持ち良く叩ける までには なっていないのです
 うんと上手になると 先輩の下拍子を 任されるように なってきます 初めの内は 気負いすぎ 緊張してしまい 
うまくいかない ことが多く 先輩の実力を 改めて思い知らされる と同時に 自分の 実力不足 を 実感します
 
 初心者の下拍子をするときは 上拍子の 少しくらいの狂い ・ ずれは 下拍子の方で調整してなるべく気持ち
良く叩けるように 配慮しますが これも その都度 意識して叩いていないと 常に 不安定で曖昧な下拍子しか
叩けないようになる 危険がありますし 決して 上拍子のためにならないこともあります 

 【 完璧な下拍子の見本 】 と いうのはないのですから ある程度の下拍子が叩けるようになれば あとは 
正確に 長く ゆっくりも 速くも 自在に叩けるようになるまで 練習するしかありません 但し 二人で叩くの
ですから 【 機械のように 正確にさえ叩ければそれでよい 】 というものでもありません 上拍子が息切れして
きたり 手 が 詰まってしまった時などに 励まし 声をかけ 誘いだすように 叩く ことも大切になります  

 八丈太鼓の上拍子は 下拍子に 大きく影響 されてしまうため 下拍子は あくまでも 自分を押さえて
上拍子に 滑らかについていく ことが望ましいのですが 中には 下拍子を かなり変化させたり 強弱を変えたり と
色々な操作 を する人がいます 上拍子を 強調したり 補ったり 景気をつけてやろうと 善意でするのでしょうが 
あまり 下拍子を操作しすぎると かえって 叩けなくなってしまう ことがありますから 注意が必要です 
いつも一緒に 叩いている仲間が 意識的に下拍子を操作する ことによって 変化する ・ 変わってしまう
上拍子の面白さ を 楽しんで叩いている場合は 同じ 「 ゆうきち 」 を 叩いているにも 関わらず 
いつもと 違った印象 を 与える叩き方 となり それが また 面白い と いうことはあります

      ロ 上拍子
 上拍子は下拍子に合わせて 即興で叩きます 初めは 好きなように 自由に 叩くように 言われます 
困っていると ドン・ドン・とか ドドンガドンと 口承で教えらえます 早く上手になるような人は この段階で もう 
先輩が指示してくれる拍子を さっさと叩き 自分のものにしてしまいます それに引き替え 私は頑張って叩いても
下拍子から はずれてしまい せっかく叩けたと喜んでも 次の瞬間には もう 忘れたり 狂ったりしてしまいます 
その上 スットンだ ・ 裏打ちだ といわれても 何が何だか よく分らない ありさまでした 
他の人の叩く拍子を すぐに真似て 自分のものにしてしまう人も 多いのですが 「 いいなー 」 と思って 
それと同じ拍子を叩こうとしても 私には どう叩いているのかさえ わからないことが多く 分解して 手を取って
教えてもらっても なかなか 叩けるように なりません でした 

 師匠の亨年さんと叩くと 調子よく叩けるのですが 他の人の下拍子では ほどんど叩けなiいことがありました 
実は 下拍子を操作して 狂った上拍子に合わせて下さっていたのを 「 叩けるようになった 」 「 上手になった 」 と
思い込んでいただけだったのです ですから 
そんな操作は 一切して下さらない 厳しい下拍子には 合わせることができなくて 上拍子が叩けなかったのです
とにかく ちょっとした拍子が 叩けるようになるのにも 時間が かかりました

 上拍子を叩く時は いつでも 叩き終わったときに悔いの残らないように 全力を出し切って叩きたい できることなら 
実力以上にまで 叩きたいという 貪欲な願いをもっています でも その鍵の大部分を握っているのは下拍子なのです 
ですから 自分が 信頼している下拍子と叩く場合は 良い演奏が できる可能性が 大きいのですが あまり
上手ではない ・ 慣れていない人の 下拍子で叩くときは 気持ちよく叩けない ばかりか 全く 叩けなくなってしまう
という 危険 も あります また 下拍子が こちらの速さに ついてこれないために 叩ききれない で
終わらなければ ならない ような とき は 残念 で なりません 

 上拍子の そんな気持ちが わらないうちは 誰の下拍子でも 積極的に 叩かせてもらっていました しかし
「 あまり上手ではない下拍子で 上拍子を叩いても 楽しくない 」 ということや 「 下手な下拍子では 精一杯 
叩くことなど とてもできない 」 と いうことがわかってきてからは 進んで下拍子の位置に 立つことが できなくなって
きました それは 「上拍子の人が我慢して 叩いたり 思うように叩けなくて 残念な 悔しい 思い を して
叩き終わっては 気の毒だ 」 という 思いが 先に立ってしまい 臆病に なってしまうのです

      ハ 上拍子 ・ 下拍子
 叩き終わった時の拍手は嬉しいものです しかし 明らかに失敗したり 納得いかなかった太鼓に対しても 
拍手が返ってきます これはとてもつらいことです ですから 観客の拍手とともに 自分自身が満足できるように
「 今の実力としては 最高の演奏だった と思えるように 叩き終わりたい 」 という気持ちが強いのです ときには 
明らかに 下拍子 の 力不足のために 十分に叩けない こともあります そんな時は 拍手の音も空しく聞こえますし 
自分の技だけでは 何ともできない もどかしさ 八丈太鼓の宿命を 改めて感じます そして やはり
「 上手な ・ 信頼できる下拍子と 一緒に 叩きたい!」 と強く思います

 裏方 ・ 伴奏である下拍子は 「上拍子が気持ちよく叩けるように 実力が出し切れるように 」 と ただそれだけを
願いながら 上拍子の人に意識を集中して拍子を刻む 地味な存在ですが 大きな拍手を受け満足している
上拍子の表情 ・ 様子から 下拍子としての役割を 無事 果たせたことがわかると 自分も とても幸せな気持ちに
なることができます 反対に 自分の力不足で 上拍子の実力が 出し切れなかった時は
上拍子の人に申し訳なくて本当に情けなくなってしまいます 
何しろやり直しのきかない 一回きりの勝負ですから  取り返しはつかないのです

 下拍子がまだ充分でない人と練習するときは 音を確かめたり 新しい拍子を工夫したり 自分の実力より
少し前の段階に 戻って復習することで 余裕のある叩き方を身に付けるのに役立ちますし 初めの頃は 
思いっきり叩ける下拍子 ・ 相手ではなくても いつも一緒に叩いていると だんだん上手になり 
技 も 追いついて きますから 次第に 満足できる ように なります

 お互いに実力を認め合いながらも なおかつ 高い技を目指して切磋琢磨する練習の仲間が 助け合い 
頼り合い 競い合い ながら 良い演奏ができたときは 喜びもひとしおです そんな演奏の喜びを 度々
味わうことができた 二人 は いつも 一緒に 叩きたい と 思うようになります

 夫は島に来た当時から 桴を持たされれば 喜んで叩いていました いつも強い島酒に 酔っぱらって いましたから 
気分は 島の人々と 同じだったのだと思います 私が太鼓の練習を始めた頃は これで一緒に 叩けるようになると
喜んでいたのですが 現実は そんなに甘くありませんでした 夫婦で太鼓を叩くと 気の合った いい太鼓が叩ける
だろうと思うのですが 他人には していた遠慮が 夫婦間では なかなか難しく その結果 険悪な雰囲気や
喧嘩の原因に なったりするのです
 自分の太鼓 ・ 拍子と 全く異質の太鼓 ・ 拍子を叩く人と一緒に叩くと どうしても気持ちよく叩けないことが
ありますから 太鼓を 一緒に叩く 相手にも 相性 というものが あるように思います

 上拍子も下拍子も 地区により 個人により 大きな または 微妙な違いがありますし 一人一人の好みや
癖もみんな違いますから その それぞれの人に合うような上拍子や下拍子が叩けるようになるためには 
積極的に色々な地区 ・ 他の人の太鼓を 聞いたり 色々な人と叩くことによって 徐々に ・ 時間をかけて 
自分の身体で 覚えていく以外に 方法はないようです 
 下拍子が上手になる ・ 誰からも好まれる下拍子が叩けるようになる と 同時 に どの地区の人とも ・ 誰とでも 
楽しく上拍子が叩けるようになる ということは 気が遠くなるほどの 長い道のり ・ 時間のように思えます

      「 太 鼓 」
 太鼓は 大きさや胴の材質 両面の牛皮の厚さやどの部分の皮か 皮の張り具合い などによって音が違って
くるため 全く 同じ音を出す太鼓を作ることは不可能です そのことにより どの太鼓も その太鼓にしか出せない
音 ( 響き ) ・ 特徴を備えた 音 ( 響き ) を持つことになります たとえ同じ太鼓を叩いても 皮面のどの部分を叩くか
によって 音は違いますし 桴の材質によっても 返ってくる音 ・ 叩き出される音は 自ずと変わってきます 
身体や体力の条件が異なる人が叩けば 当然 返ってくる ・ でてくる音は 違ってきますし 同じ人が叩いても 
叩き方や気持ちの込め方によって 一打一打 叩きだされる ・ でてくる音は それぞれ みんな 違います たとえ 
太鼓を演奏する高い技術を 持っていても 良い音 澄んだ ・ 美しく突き抜ける ・ 深くてよく響く音 を叩きだすことが
できなければ 聞く人を 感動させることなど出来ませんから いつも自分の叩きだす音に耳を澄ませて
心地 ・ 気持ちの良い音を だすように心がけて叩くことが大切です

 太鼓の音を単に何かの合図として利用するのであれば 大きな音が要求されるくらいでしょうが 太鼓を
打楽器として叩く場合は 音の大小 深い 鋭い 重い 軽い 柔らかい というような音質までを含め 
さまざまな音が要求されます 特に 八丈太鼓は 自分の心のおもむくままに 即興で叩きますから 
ほしい音 ・ 気持ちの良い音 をだすためには 太鼓を叩く技術を身に 付けることもある程度必要になります 
「 こう叩きたい 」 「 こんな音が欲しい 」 という気持ちがはっきりしていても その音を出すための
技術がなければ 結局 自分の気持ちを 表現する ・ 実現させることが出来ないからです

 太鼓を叩く時は 大体そこに置いてある太鼓を叩きますが 皮が緩んでいたり 湿度が高い時は 音が籠もって
響かないために 苦労します 高すぎる音は 落ち着きがなくなって 雰囲気がだせずに苦労します 
太鼓の大きさによっても 桴を替えたり 叩き方を工夫することが必要ですし 大きい音が欲しいからといって 
ただむやみに力んで 桴を振り回してみても たいした効果は 期待できません 
どういう音 ( 響き ) を備えた太鼓か ということを探り その太鼓に合う 叩き方をする ・ 見つける ことも大切です

      「 桴 」
 桴は自分の掌 ・ 身体 技術に合ったものを工夫して使います しかし 自分の身体や 叩く太鼓 や
太鼓を叩く 自分の技術に 合った 桴 と 出会うことは 本当に難しいのです 
太鼓の大きさと桴 掌 ・ 身体と桴 技と桴 というような関係をすべて満たしてくれる 桴 は まずありませんから 
色々の条件の中の 一つでも多くの条件を 満たしてくれる 桴 を 選んで 叩くしかありません

 太鼓の練習を始めた頃は 「 すりこぎ 」 を利用して叩いていました その頃は どの太鼓の側にも 当然のように 
すりこぎ が 置いてあったように思います 丁度良い
長さ 太さ 重さ の すりこぎを探したり 桴 代わりに使えそうな 
麺棒 や ケーキの生地を伸ばすのに使う まっすぐな棒 農具 や モップの柄 を見つけては 実際に使ってみました

 自然に生えている木を削っても作りました 桴にするには ある程度の長さのまっすぐな木が必要ですから 
なかなか 二本の 太さ や 重さ を 揃えるのは難しいのですが それぞれの木が持っている特徴 ・ 癖が 
面白い拍子を 生み出す こともあり それを 楽しんでいる 人もいます 

 自分の中の 想い が 身体の動き を 導き出し その身体の 動き が 桴先 から 太鼓へ と 伝わって 
一つの音 ( 響き ) を 叩きだすのですから 桴 と身体 が一体に なっていなければ 良い音をだすことはできません 
そして 太鼓 に 桴 を どのように当てるか ということも 大切になってきます

 八丈太鼓は 太鼓の 縁 も叩きます 堅い木 は 桴としては 長持ちします 縁を叩くと 冴えた 良い音がしますが 
皮面の音との 釣り合い からすると 少し強すぎる ・ 鋭すぎる と 感じることもあります 
重すぎると 振り遅れてしまいますし 軽くするために 細くすると 歯切れの良い音 はでますが 
余韻のある 重い ・ 深い音 がでません 柔らかい木 は 一般的に軽くて 扱い易い のですが 縁を叩く と
すぐ ボロボロに なってしまいますし 大きくて 強く ・ 鋭い音 をだすのは 難しい ように思います また 
個人の体力 や 技術の変化 ・ 熟練度 によって 使う ・ 欲しい桴 も 変わってきます 名人 は 軽い桴 を 使って
良い音 を だす と 言われていますが それを 実感するまでには まだまだ 果てしなく長い年月が必要なようです

      「 叩き続けている 理由 」
 [上手に叩く ] という以前に 拍子の正確さ ・ 速さ に対しての感覚が備わっていなかった私は 
感覚の鋭い ・ 器用な人達からは 理解出来ないほど ほんのちょっとした拍子が叩けるようになるにも時間がかかり 
大変な思いをしなければなりませんでした 簡単な事を教えられてもすぐには覚えられず 身にもつかないため 
いつも 「 ねばならない 」 という課題を 抱えていることになります そして 「 今抱えている課題を 解決したら
止めよう 」 と思っていると それがなかなか解決できないため 止めることが出来ないのです
 
 不器用で練習の成果が上がらないことに気が引けながら練習を続けていると 師匠や先輩から
「 叩けるようになるのに 時間がかかった人 ・ 不器用な人が かえって味のある良い太鼓を 叩く ように なる
ことがある 」 と 励まされました その言葉は 「 ひょっとして 私も ・・・?」 と希望を持たせてくれましたから 
叩き続けて その結果をみてみる必要がありました

 新しく現れた目標が とても達成できないと思えるほど 大きく 高いものであれば かえって諦めがつくのでしょうが 
気がつき始めた頃は ごく簡単に ・ すぐ実現できそうに思えるところから つい それに取り掛かってしまうのです 
一度取り掛かってしまうと 満足できるようになるまでは諦められない性格も 叩き続けている一因かも知れません 
そんなことを くり返している間にも しみじみ 「 太鼓を 叩き 続けていて よかったなーーー」 と 思う時も 勿論あります 

 島での生活が長くなってくるににつれ 少しづつ 他の地区や色々な所で叩かれる太鼓に 接する機会も 多くなって
きます 一つの太鼓を囲んで大勢の人が一体になる 何ともいえない雰囲気は この島に来る以前には 全く
経験したことのないものでした 
 男 女 老人 若者 知人 初対面というような 諸々の隔たりを取り払い にぎやかで温かな雰囲気の場で
叩かれている太鼓は 太鼓の周りに集まってきた人達が 島酒の酔いも手伝って 我も我もと太鼓を打ち 歌い 
踊る ( 手を打ち 身体で拍子をとる ) 音に引かれて集まってきた人達も いつの間にか仲間に入って叩いている
ような楽しい太鼓は 最初に私が八丈太鼓から受けた印象とは随分違う物でした 
「 こんな楽しい太鼓が叩けるように なるのはとても無理だ 」 という気がしたほどです

 八丈太鼓は 完成 ・ 終わり ということのない太鼓ですから どの時も 練習の一過程にすぎない といえます 
新しい目標に向かって叩き続ける ことによって 太鼓は少しづつ変化し続けていくことになりますから 
自分の叩く太鼓の 変化を 見よう ・ 感じようとすれば やはり 長い年月 叩き続ける必要があります

      「 島外から の 人 」
 八丈太鼓に興味を持ち 八丈島を訪れた人達は 積極的に太鼓の打ち手達を訪ね 直接
手を取って教えてもらったり 自分の知りたいことや疑問についても 積極的に尋ねますから 短い期間であっても 
かなり大きな成果を得るようです 
 島に住んで太鼓を叩いていれば 島外から訪れた人達よりは はるかに 先人に教えを受けたり 
話を聞いたりする機会に恵まれているはずなのですが 太鼓を叩き始めるまでは 太鼓に興味は持っていても 
話を聞きに行くことなど考えつきもしませんでしたし なまじ 
叩き初めてからは 「 自分なんかが ・・・ 図々しい ・・・」 という気持ちが先にたってしまい 直接話を聞いたり
教えてもらいに行くなどという勇気はとても持てませんでした そんな引っ込み思案が災いして躊躇している間に 
大切な打ち手の方達が 一線から 身をひかれていきました 残念でなりません

 八丈太鼓が 他の地方にない独特の太鼓だったということも幸いして 色々な地方で太鼓を叩いている人達が 
愛好会の練習場を訪れます そんな人達と一緒に太鼓を叩いたり話をするのは楽しいことですし良い刺激になります 
普段 太鼓を叩いてはいても 技術的なことを 理論的に教えてもらったり 話し合ったりする時間や機会はあまり
ありませんので そんな折りに 会長が 昔の八丈太鼓のことや 技術的なことについて 話す ・ 答える のを
側で聞いているのは会員にとっても 良い勉強になります ときには
 「 八丈太鼓を叩いています ・ 練習しています 」 という人達も来ます 結構あちこちで叩かれているようです 
八丈島出身の人が指導しているところもあれば 八丈島で 八丈太鼓を叩いていた人が教えている ところもあります 
八丈島から 指導者を呼んで 練習を始めたところもあるようです そんな人達は 八丈太鼓を上手にこなされた上に 
ひと味違った叩き方になっていることがあり 自分の太鼓を変化させる新たな糸口を得ることも多いのですが 時々
びっくりすることもあります 稀には 形がきちんと決められていて 八丈太鼓 の真髄 ともいえる 即興性 まで
なくなっていることがあります 同じ島の中でも 個々の叩き方は随分異なっているのですから 
遠く離れた地で 自分達の会にあうように工夫をしながら練習している間に 
本来の八丈太鼓から 少しづつ違うものになっていった としても しようがない ・ 当然のことかも知れません 
 
 国立音学大学 ・大学院の修士論文で 「 小笠原太鼓の打法 」 を書いた 長尾満里さんは 「 八丈太鼓 」 の研究
のため 度々来島しました 八丈太鼓について 島内のお年寄りから聞き取り調査をしながら ご自身も実際に
よく八丈太鼓を叩いていました 私が初めて満里さんに会った頃 彼女はすでに 島内の主な太鼓の打ち手と
親交を深くされていました ですから 八丈太鼓への理解は深く 彼女が太鼓を叩く姿や桴さばきは 昔懐かしい
八丈太鼓を見るようでした 満里さんは 日本の太鼓について理論的に確かで羨ましい限りの知識を持ち 
色々な地方の太鼓についても造詣が深く その中でも 特に八丈太鼓について興味を持っていました 
その当時 ( S56年頃 ) 八丈太鼓について深く研究し書かれたものが少ない中 彼女は 私がこのHP
【 くれない 】 の 「 八丈太鼓の由来 」 の中に引用した他にも 数編の論文を 発表されています 
横笛 第22号 ( 1989年 ー 邦声堂 ・刊 ) には 『 八丈太鼓の名手 ・ 稲田カエさんの想い出 』 と 題して 
在りし日の かえさん との 交流について 書き綴っています

 頭の中に つねに音楽教育のことがある満里さんにとって 太鼓は 音楽教育のための 和楽器のひとつであり また
音楽のリズムを研究する中で 「 太鼓を叩く時の身体運動と 音楽の ( 太鼓の ) リズムの一致 」 を
八丈太鼓 の 中に 見出した のでした 一方 私の頭の中は 「この島で太鼓を叩く!」 ということだけです 
満里さんが長い時間をかけて収集した 貴重な話を聞きながら 「 これでは立場が逆だな、、、」 と反省しながらも 
色々と太鼓のことを 教えて頂いたり 実際に叩いていることを 基にして 満里さんの質問に 答えたり していると
楽しくて 知らないうちに時間が経ってしまいます お互いに 違う角度から 八丈太鼓について話しているのですが 
そんな中で私は 思いがけぬ ヒントを得ることも度々ありました これからも 長尾満里さんは 広く
音楽教育の面から太鼓 ・ 八丈太鼓に 私は 八丈島に住み この島の太鼓 だけに 拘り続けていくことでしょう

      「 八丈太鼓研究会 」
 八丈太鼓愛好会で練習していた人達が都内に転勤して行く ・ 帰らざるをえないことがあります 愛好会の大切な
柱であった 遠藤芳雄さん 水野只道さん 奥山春美さんが 相次いで上京したのをきっかけに 1984年 都内で
八丈太鼓研究会を発足させました これは 八丈太鼓愛好会 ・ 私にとっても 大きな期待を抱かせる出来事でした
(2002年 八丈太鼓研究会は 3つの会に分かれ それぞれ 新たな活動を 続けています)

 上京の折りに参加した練習場にはすごい気迫が籠っており 日頃の練習場での自分の緊張度について
強く反省させられました 都内に住んでいても 様々な職業の人達が仕事を終え 各種の交通機関を乗り継いで 
練習場に来るだけでも大変なことですから 「 時間を無駄にはできない 」 という切実な気持ちの表れでも
あるのでしょう 太鼓の練習場を確保するのも大変なようですから 研究会の人達は 太鼓を叩く機会や
聞く機会に恵まれている八丈島のことが 羨ましくてしょうがないようでした 島に住んでいると 何でもない 
自然のこと ・ 当然のこと と思っていたことを改めて見直し 大切にしていかなければならないと教えられました

 遠藤さんがいない練習場で  「 これから どうすればいいんだろう?」 と 目の前が暗くなるような思いで
練習をしていた 私は
 遠藤さんが上京してからも 「 遠藤さんの指導を受けたい!」 と思い続けていました 
自分で練習をしながらも 「 遠藤さんは どう 教えて下さったか?」 「 遠藤さんだったら どうおっしゃるだろう?」 と
考えながら練習を続けていました そして 時々お会いした時に 気になるところを ずばっと指摘されたり 
悩んでいるところを解決する 手がかりを与えられたりする中で 
 遠藤さんの側で頼り切って練習していた頃の 自分の 【 待ち 】 の練習に やっと気がつきました すなわち 
遠藤さんの言葉を待って その言葉の通り練習し また 次の指示を待つ ・・・ という練習です 
遠藤さんの側で練習を続けていたら 今も その状態は続いていたのでしょうが 
やむおえず離れて・自分で練習をしなければならなくなりなって やっと そのことに気がついたのです 

 
    「 東京都立八丈高等学校 太鼓クラブ 」
 勤務校 東京都立八丈高等学校 の 体育館 に 二尺二寸 の太鼓 が 【 どーん 】 と 置いてありました 
大きさにも驚きましたが なんの覆いもせず 置いてあることに驚き 「 誰かが いたずらしたら どうするんだろう ?」 と
思ったものです その太鼓のほかに 一尺七寸 と 一尺六寸 の太鼓が やはり 誰でも 触れることが出来るところに 
置いてありました 子供達が 太鼓を叩く ことはあっても いたずらをすることなど 考え付きもしないほど 
大切なもの ・ 身近なもの として育っていることなど まだ 知る由もない 私でした

 放課後に ドン ・ ド ・ コ ・  ドン ・ ド ・ コ ・ と ぎごちなく 叩いていると 子供達が集まってきて 教えてくれます 
その子達にとっては 何でもないことが 私にとっては 至難の業 で いつも笑われていました 
 二人で組んで 手で 膝 ・ 壁 ・ 机 と 身の回りの物 を 叩いたり 足拍子で 上拍子 下拍子 の 掛け合いを 上手に
やって見せてくれるのには 本当にびっくりしました

 

 八丈太鼓愛好会 に 入会し 個人的に 太鼓の練習を始めてから 3年目に 八丈高校に
太鼓クラブ が 発足しました わざわざ太鼓の練習をすることなど 考えも 思いつきも しないほど 
太鼓は島人の日常生活の中に深く溶け込んでいましたから 高校に 太鼓の 部活動 が ないことを 
不思議 に 思うのは 島外から来た 私達のような者だけなのでした

 卒業式が近くなると 在校生の中から太鼓の上手な人を探し 二尺二寸の大太鼓の演奏に合わせて
卒業生が退場します どの年の太鼓も 特に練習などしていない人達の叩く太鼓とは思えないほど 力強く
素晴らしいものでした それほど 太鼓が 島人の ・ 子供達の 身近なもの ・ 馴染み深いもの だったのです 
ところが だんだん 太鼓を叩ける人が少なくなってき来た頃 丁度 太鼓クラブが発足しました そこで 
卒業式の太鼓は 太鼓クラブが 受け持つことになりました 
 男子が主になって活動を開始したクラブですが 数年経つと女子ばかりになっていました 一緒に活動するのが
私だから ということも考えられますが この島の 昔からの太鼓の叩かれ方 からすれば 女子が主に叩いても
不思議はないのかも知れません 女子の叩く太鼓は 優しく 姿も美しくていいのですが 男子の叩く太鼓は 
何といっても音が大きく迫力もありますから やはり 男女両方の叩く太鼓がほしいと思っていました

 発足して数年は クラブ員達の叩くのを 側であっけにとられて聞いて ・ 見ているしかありませんでした そして 
クラブ員の練習の合間に教えて貰ったのですが 自分達の高い基準に合わせて教えてくれましたので 
それは厳しく ・ 情け容赦のない ものでした 八丈太鼓について まだ というか 殆ど 知らなかった私は まるで
クラブ員達に虐められているように感じ 悔しく ・ 恨めしく思いながら練習をしていました 
初期の頃のクラブ員達が なぜあんなに厳しかったのか この頃やっとわかるようになってきて 
遅ればせながら 深く 深く 感謝しています

 太鼓クラブが発足してからは 毎年 八高祭の舞台部門での発表や3年生を送別する予餞会に必ず参加して
日頃の練習の成果を発表しました 校内の活動以外に 島内の行事 商工祭りや流人祭り その他の催し物にも
誘われれば 積極的に参加しました 島の人々は 技はつたなくても 可愛い女童達が八丈太鼓を叩くのを喜んで
下さるのです クラブ員達は舞台に立つことで度胸がつきますし 誉められたり 励まされたり することで 
意欲的に練習に取り組むようになる こともあります また 
発表後に続く 普段の練習への 好ましい変化 ・ 影響も 決して見逃すことができません

        1991年(H3.) 八高祭 舞台発表の後

 ボランティア部の活動の前座をつとめたり 人寄せ太鼓を叩いたり 一人暮らしのお年寄りを囲んでの
        クリスマスパーティーにも協力しました そんな場では腕自慢のお年寄りも
        クラブ員と一緒に太鼓を叩いて下さり クラブ員にはとても良い勉強になります 
 福祉バザーの人寄せ太鼓を叩いている時などは 通りがかった人が一緒に叩いて下さったり 中には 
        手を取って教えて下さる方も ありますから 島の人達に 直接 教えて頂ける良い機会でもありました

     1982年(S.52.) 第六回 全国高等学校総合文化祭の郷土芸能部門に 
                           東京都代表として参加
     1990年(H.2.)  第一回 全国高等学校総合文化祭 優秀校の東京公演に 特別出演
                           開幕の太鼓を叩く重要な役目を果たすことができました
 クラブ員にとっては 一生忘れられない良い思い出になったことでしょうし 一緒に活動していた私は 
クラブ員とはまた違った意味の経験と思い出が残りました 当時は 高校生が島外の活動に参加する場合にも 
飛行機は使えませんでしたから 本土とは300キロもの海で隔てられていることを改めて実感させられました

      国立劇場 開幕の太鼓

 郷土芸能としての太鼓は 他の地方の多くの高校でも 部 ・ クラブ活動として取り上げられ かなり
盛んに叩かれていますが そのほとんどが 叩く形が決められていたり 
複数の太鼓を大勢で 譜面通りに叩いたり 他の楽器と一緒に叩く 組太鼓のようですから 
八丈太鼓のように たった一つの太鼓を二人で しかも即興で叩くというのは珍しいようです 

 教育活動の一環として郷土芸能に取り組んでいる学校では 担当の先生自身が郷土芸能に興味を持ち 
体得し 長年 情熱的に指導に取り組んでいるところが やはり高い実績を示していますし 
殆どが地元の人々の協力を得ていることからもわかるように 
自然に任せておいたのでは このような活動を持続したり まして発展させることは難しいようです

 全国でボランティア活動をしている若者達の祭典である 活動文化祭’83 「 10代のボランティアが集いつくる 」 に
太鼓クラブが自主的に参加し [ 自由研究発表の広場 ] で八丈太鼓を発表すると同時に 参加者と一緒に 叩きました 
八丈太鼓には形や決まりはありませんから 誰でも叩ける太鼓です 例え 車椅子に座っていても 
片手しか使えなくても それなりに叩けますし充分楽しむこともできます この時も 身体に重い障害を持つ男性が 
車椅子から床に滑り降り 全身で太鼓の側に にじり寄ってきました そして 不自由な手に桴を持って叩きだしたのです 
言葉にならない声を発し まるで太鼓に跳びかかるようにしながら ・・・ 会場は励ましの声と感動の拍手に包まれ 
目頭を押さえている人も 少なくありませんでした

     1983年(S.58.) 活動文化祭

 東京都立綾瀬聾学校 専攻科の2年生が研修旅行で八丈島を訪れたおり 太鼓クラブに数名の男子がきました 
太鼓の音は 単に 聞こえるだけではなく 床 天井 壁と 周りの物すべてを振動させて なおかつ 私達の全身に
伝わり お腹の底まで ズーン と響きますから 耳の不自由な人にも この振動 ・ 響きは 必ず伝わるはずだと思い 
あまり心配はしていませんでした 案の定 両校の生徒達は 身振り 手振りで練習に励みましたので 
桴を初めて持った綾瀬の高校生は 手に豆が出来 ついには 皮が剥けてしまうほどでした

 クラブ員の中には入ってきたときから上手な生徒もいますが 全く叩けない生徒もいます 性格も練習する姿勢 ・
仕方もさまざまですし進歩の度合いもそれぞれ違います 生徒は三年間 だいたい一〜二年間で入れ替わって
いきます クラブ員と太鼓を叩き 一人一人に最も合うと思われる 技術的な指導と声の掛け方 ・ 励まし方を
工夫して その成果の表われるのを待つ ・ 見るのも 楽しいものです 一緒に叩きながら
「 太鼓が好きになってほしい!」 と願い 太鼓の音を懐かしく聞き 機会があれば 喜んで ・ 気軽に 桴を持って
太鼓を叩く そんな人が一人でも多く 育って ・ 巣立って いってほしいと願いながら活動をしていました

      「 職業 との 関係 」
 
勤務先の都立八丈高校でも 太鼓クラブを担当することになりました これは 桴を持つ回数が増すということ
ですから 願ってもないことでした 高校生 ・ クラブ員と叩くのは 愛好会の会員と叩くのとは また違うことを 
教えられたり 感じさせられます また 一つの技を 言葉や身体を使って 相手に伝えようとすれば その技について
自分自身の意識 ・ 知識が明確でなければ きちんと 相手に伝えることはできませんから 逆に
[ つたえたい! ] [ わかってほしい! ] という思いが 曖昧だった意識 ・ 知識を明確にしてくれることもあります 
これは それ以後の 自分自身の練習に有効に作用しますから クラブ活動の時間は待ち遠しい時間でした 
そんな中で 「 もし 私が教師でなかったら ・・・?」 と考えることがありました

 八丈島の人々は太鼓が好きで誇りにしているにも関わらず 「 わざわざ 太鼓の練習をするなんて( 変な人 )」 と
いうようなところがあり 昔から みんなで太鼓を叩くとき 真っ先に何回も叩かずにはいられないような人のことを 
「 はんけ 」 「 はんけしょい 」 ふざけた ひようきんな人 と 軽く扱う風潮があるようですから 
35才から太鼓を叩き始めたり 充分叩けるようになる前から 人前で叩いたりするなんて とんでもなく
変なおばさんなのです 幸いにも教師であったことから 周りの人達は 色々な変なことを 
好意的に受け取り むしろ 高校生のために頑張っていると錯覚され 励ましていただくことができました

  
                   同僚の結婚を祝う会

      「 家族 の こと 」
 夫と二人の息子の四人家族 二男が小学校一年生の秋から太鼓の練習を始めたのですが 
叩いている内に どんどん太鼓が好きになり 止められなくなってしまいました 「 子供に手がかからなくなって 
自分の時間が持てるようになった 」 とはいうものの 勤めから帰ってすぐ太鼓の練習に駆けつけなければならない
ことも度々あります そんなときは いつも簡単に済ませている食事がなおさら手抜きになってしまいますが 
夫と二人の息子は文句も言わずに送り出してくれました 時には練習に出かけるのが億劫で
ぐずぐずしていたり 「 休もうかなー」 と弱気になっていると 「 お母さん 今日は太鼓の練習でしょ 」
「 ほら 頑張って 行っておいでよ 」 と励まされ 押し出されることもありました

 その内 盆踊り 商工祭り 大神宮祭り 流人祭り など 人前でも叩くようになって 小学校高学年から高校生と 
多感な時期の途中にいる息子達が 「 嫌な ・ 恥ずかしい思い をしているのではないか 」 と心配したこともありますが 
夫も子供もまったく気にしている風はなく むしろ応援してくれていました

 太鼓は勤めの次の位置を占めていましたから 太鼓に関する予定が入ると 家事 育児より優先です 
出かけるときには 「 母は八丈島の為に頑張ってきます 」 と威張ってみるのですが 
子供達は 「単なる遊び 道楽でしょ 」 と苦笑しながら 「 頑張ってねー」 と送り出してくれました 
若くも独身でもなく かなり年を経た中年の女 ・ 自分の母親が 太鼓の練習を続けているだけでも迷惑なのに 
実力も省みず 人前で叩くのを 黙って許してくれる家族はそうそういないのではないでしょうか

 太鼓の音が鳴り響く練習場で話をするのはなかなか容易なことではありませんから 練習中は技術的なことを
主として 必要最低限のことしか話をしません というより 話せないのが実情ですし 技術的な練習に集中
していれば 話をしている余裕はありません そこで 練習が終わってから数人が連れだって お茶を飲みに
出かけるようなことがたまにはあります 太鼓の仲間というのは
練習の場を離れても太鼓の話以外はほとんどしないという 本当に不思議な人達ばかりですから
「 一緒に行こうかな ?」 と思うこともありますが
太鼓を叩く以外の時間は極力とらないように しています これは 
家族に対するささやかな感謝の気持ちを 自分なりに表しているつもりなのです

      「 これから の こと 」
 八丈島の老人ホームでも太鼓を一緒に叩いています  昔からの 雰囲気のある優しい打ち方や ひようきんな身振り
での打ち方 桴を皮面に押しつけるようにして打つ打ち方など 五つの地区の 特色ある太鼓に接する事が
出来ますし 若い頃からの 太鼓の名手達と 叩くことができる貴重な機会です 喜んで叩いていただけるように 
どの人にも好まれる 下拍子が叩けるようになりたい と 切実に思います また 下拍子しか叩かないという名人も
いますから どんな下拍子であっても 慌てることなく 合わせて 上拍子を叩けるようになりたい とも 思います 
これは 自分にとって大きすぎる目標なのですが ・・・

 片手でも 座ったままでも 車椅子でも 太鼓を叩いて楽しむ人は 大勢いますが 
ホームに来て 初めて太鼓を叩く人もいます 名人だけではなく 島のお年寄りは 下拍子に合わないとすぐ 
叩くのを止めてしまいます わかるというか 気持が悪いようなんです ですから 「少しでも長く叩いてもらいたい!」 
「できれば気持ちよく叩いてもらいたい!」 と思うと ホームに出かけるのは とても楽しみな日である と共に 
つい 忘れかけてしまう 緊張 と 初心 を 思い出させてくれる日 ということが出来ますし 
日頃の練習では 殆ど 期待できない分野を 鍛えられている気がしています
一緒に叩いている内に 少しづつ 皆さんに喜んで頂けるようになり ・・・ だんだん 
島の人達の太鼓に 近づくことができるかも知ない という 下心 も 恥ずかしながら ・・・
相手をして下さっている 皆さん に ただただ 感謝です
   

 八丈島の太鼓は 練習とか 練習で獲得した技術だけでは解決できない もっと他の何かが必要ではないか ・・・? 
という気がどうしてもします それは ただ単に 途中から八丈島に来て なかなか思うように
八丈太鼓が叩けるようにならない者の [ ひがみ ] かも知れませんが 太鼓の練習などまったくしていない島人が 
何気なく叩く 姿 や 太鼓の音 に 文句なく引き込まれて 「 いいなー 」 と感心し 目 も 耳 も 離すことができなくなって
しまうのです 「 これから先 何年いや何十年 叩き続けていたとしても この感覚は 決して身に付くことはないだろう 」 
と絶望的な気持ちになってしまうことも度々です それでも 諦めないで 長く 長く 叩き続けていれば ひょとして ・・・ 
この島の諸々のことが じわじわと 身体や心の中に染み込んできて いつか 
島人と同じように 叩けるようになるかも知れないという 一縷の望みを持ち続け 叩き続けることにします

 八丈太鼓を 「 練習する 」 というかたちで叩くことが良いことかどうか ということにも 疑問を持ち始め 困っています 
盛んであった太鼓が 一部の人達だけのものに ならないためには 
太鼓の練習の場をつくって教える ・ 太鼓の練習を呼びかける ことも 必要なことでしょうが 
 一旦 練習 と いうことになると あらゆることに 「 決まり事 」 が 多くなり 「 目標 ?」 も 高く なります 
○○会 と 名が付けば 指導者や構成員によって 特徴が顕著になるのも 自然の成り行きです これは 
本来の八丈太鼓の叩かれ方とは 随分かけ離れてしまう ように思うのです ということは  
 自然に桴を持ち 思わず叩いてしまう というような場を 設定することが より実情に即している のかも知れません 
具体的には 人々が集まり 楽しむような場には 太鼓を置いて 「 一緒に叩こう !」 と誘う 初めて叩いた人が 
「 また叩いてみたい 」 と 太鼓に興味を持ったり 好きになってしまう ・・・ そんな手助けをする ということでは
ないでしょうか もし そういうことであれば ・・・ 私にもできそうです 身近なところから実践していこうと思います

 「 八丈太鼓に関することを 何でもいいから知りたい 」 と思って読んだ文献から 八丈島で 昔太鼓が打たれていた
情景の 貴重な写真の数々に接している内に 「 いつかは こんな優しい 柔らかな太鼓 が 叩けるようになりたい 」
と思い始めるようになりました これは 若者達の勇壮な太鼓に魅せられて 「 自分も そんな太鼓が叩きたい 」 と
叩き始めた私としては まったく 思いがけない心境の変化でした 「 昔は・・・」 「 本当は・・・」 と 以前 他の人から 
聞いた ・ 教えられた ・ 言われたことを 「 自分も叩いてみようかな ?」 ・ 「 叩いてみたい 」 ・
「 叩けるようになりたい!」 と思うようになってきたのです
 
 両脚を大きく開いて 若者達が叩くような 力強く勇壮な太鼓が
 両脚を揃えて膝を付けて 島の女性達が叩いていたように 優しい太鼓が 
       というように それぞれの特徴を はっきり叩き ・ 打ち分ける ことができるようになって 
       「 それぞれの打ち方 ・ 叩き方で 満足できるようになれば 最高だなー」 と 大それたことを夢みています

 今はまだ 脚を大きく開いて めいっぱい桴を振りながら 全力で太鼓を叩きたい という気持ちが強いのですが 
だんだん 脚 腰 を初め 身体全体の力も衰えてくれば 否応なく 叩き方は変っていくことでしょう 
その叩き方が変っていかざるを得ないことを 退化 ・ 加齢 ・ 後退 と受け取るのではなく 変化の一過程として
楽しむことができれば こんなに幸せなことはないでしょう 八丈太鼓は到達点のない太鼓なのですから
もうしばらくの間 ・ 体力の続く間は あせらず 二つ ・ それぞれの 太鼓を 叩き続けていく中で 
自然に 時間 ・ 年月 の示してくれるであろう 解答を待つことにします

 太鼓を叩いていたからこそできた 珍しい体験や経験をたくさんさせてもらうことができました 
太鼓を叩いていた故に いっぱい幸せを貰ったのですから これからも ずっと ずっと 太鼓を叩き続けていこう
としている私に 「 好きな太鼓を媒介として 何か 出来ること できれば他の人の役にたったり 
喜んでもらえるようなことがないだろうか?」 と考えます 自分も楽しんで 他の人にも喜んでもらえるような
活動ができれば どんなに幸せなことでしょう

      「 反 省 」
 
八丈太鼓に興味を持ち 昔の文献を 読みあさっている内に 太鼓だけでなく 八丈島の 諸々のことについても
知りたいと思うようになりました 手に入りにくい資料を探し出し 
八丈太鼓についての珍しい記述に出会った時などは本当に嬉しいものでした

 「 そろそろ 終わりにしょうかな 」 というところまできて ・・・・・ いきなり
    「 私は 何をしょうとしているんだろう? 」
    「 こんなことが いったい何になるんだろう? 」 ・・・ はては
    「 書かない方が 良かったのかも知れない? 」 という気持ちが湧いてきて困っています

 「 確かに知っている 」 と思っていたことでも 文字にしょうとすると自信がなくなってしまい 
その裏付けを見つけるのに苦労することも度々でしたし 新しい資料を見つけたり 欲しい情報を探したりしながら
書いていると それを書いている内に また 新たに調べなければならないこと や 書いておきたいことが出てくる
という状態で 少しづつ分量が増えてしまいました

 八丈太鼓について 知らない ・ わからないことを調べることで
「 八丈太鼓の本質に近づけるのではないか ・ 八丈太鼓に近づいて行く筈だ 」 と信じて書き続けてきたのですが 
「太鼓の ある部分だけに 拘っていたのでは 本質に 近づくことなど できないのではないか?」
                                               という気がしてきたのです 
 確かに 書くことによって 自分の持っている知識や考えを 整理することはできます しかし
「 たくさん調べた ・ 時間をかけた ということで なんとなく 全体がわかったような
         錯覚に 陥ってしまうことがあるのではないか?」 ということに 遅ればせながら 気がついたのです 
 小さな部分を 掘り下げていくことによってその部分がいくらわかったところで 全体を把握することには つながらない
ということを自覚しないままここまできてしまい 今になって本当に戸惑っています 

 「 みんなで 太鼓を叩く ・ 打つ 」 ということは 太鼓のことだけではなく もっと もっと 
                                諸々の事や広い意味が 含まれているのかも知れません
例えば
   ・叩く ・ 打つ
     実際に桴を持って 太鼓を叩く ・ 打つ
     太鼓の側で 太鼓を叩く ・ 打つのを 聞く ・ 見る
   ・歌う
     太鼓に合わせて 太鼓節を歌う
                その場に合った詩や 適当な言葉 ( 詞 ) を 即興で歌う
     太鼓の合間に ショメ節などの 島の唄や 流行歌などを歌う
   ・囃す かけ声をかける
     打ち手を 誉める からかう 冷やかす ような 言葉をかける
              ワアー ワアーあおって 励ます ・ 元気づける ・ 景気をつける
   ・踊る
     太鼓の拍子に合わせて ・ 浮かれて 踊りだす
                      身体を ( 手を振り 足をあげ ) 動かす 飛び跳ねる
     太鼓の合間に 歌に合わせて 手踊り 場踊り ショメ節 などを踊る
   ・太鼓以外のもの ( 手 ・ 物など ) を叩く
     太鼓の拍子に合わせて 手拍子 ・ 拍手する 側にある物を叩く
                     箸で 茶碗 ・ 皿 ・ テーブルなどを叩く
                     足で拍子をとる 足を踏みならす
   ・飲み 食い する
     島酒 ( 焼酎 ) を飲み 島寿司に代表される 手作りの島料理を食べる
   ・集まった人達 と その場の雰囲気
     嬉しい ・ 楽しい という 「 喜び ・ 歓迎 」 の気持ち
     めでたい ・ 良かった という 「 お祝い 」 の気持ち
     和やかに 親睦を深める
     賑やかな ざわめきの中 での交流
     太鼓の音に浮かれ 島酒に酔うほどに うきうきと 開放的になっていく場
     絶えず 湧き上がる 笑い声や 特に意味のない声 ・嬌声 ( キャー キャー ) など

 「 太鼓を叩く ・ 打つ 」 ということは 実際に太鼓を叩く ・ 叩かない ということが 問題ではないように 
下拍子は 正確に叩かなければならない とか 上拍子は 絶対 下拍子に合っていなければならない ということも
そんなに大したことではないような 気がしてきました 要するに 太鼓 を 二人 で あっち と こっち から 叩いて
叩いている二人が楽しくて その太鼓の周りにいる人達も 大いに楽しい というような そこに集まった人々の
内面を含めた 動き と いったものまでを ひっくるめて表していると考えた方がいいでしょう ・・・ ということは 
今まで書いてきたような 細かい部分に拘りすぎていたのでは 自分が本当に知りたいと思っていることからは 
どんどん 離れていっている ・ 遠くなってきている ということに やっと気がついたということです

 実際に行われていることを正確に書き表すということも 至難の業というよりは ほとんど不可能ではないかと
思いはじめました 実際に行われていることは 注意深く 同じことを 同じように踏襲しているつもりでも 
長い年月の間 まったく同じように繰り返し 続けることは不可能なことです それと同じように 
忠実に書き残されたものに基づいて再現してみても 元のものとまったく 同じように再現されることは到底
無理なことです 充分注意して 正確な記録を書き残そうとしたものでも そうなのですから ほんの軽い気持ちで 
ある時 ・ ある事 ・ ある物 の説明をすれば 本質とはかなり違ったものになる可能性は充分あります 

 複数の人が同一の物 ・ 事を 色々なことに捕らわれずに書き記しても 個人の好み 興味を惹く部分は それぞれ
違います 強い印象を受けた部分は 自ずと力が入り 細かなところまで行き届いた記録がされるかも知れません 
逆に 確かに見ているにも関わらず 目に入らない ・ 止まらない ということも あり得ることです
ということは
「 八丈太鼓が好き 」 「 興味を持っている 」 とはいえ ほんの20数年の付き合いで 八丈太鼓について
文字にするなどということは とんでもないことなのです 
物事の本質をよく理解し 実践している人でも 自分の理解していることを 忠実に 他の人に伝えるということはかなり
難しいことですから まだ 本質について 手探り段階にいる私などが 決して してはいけないことなのです ・・・


      「 終わり に 」
 八丈島に来て 八丈太鼓に出会い 叩いている内に 太鼓を通して それまでは思い付きもしなかったことを
色々と考えさせられ 反省したり 感謝したり することができたのも収穫でした 
 太鼓を叩いていた為にできた 珍しい体験や経験は貴重なものですし 色んな人と出会い 仲間になり
年齢のことなど まるで忘れて 若者達とも 一緒に太鼓を叩けるのは この上なく幸せなこと と 感謝しています 

 【 八丈太鼓 と 私 】 の項は 「 自分のことを書くのだから 簡単だろう 」
                   「 書きたいことを 書けば良いのだから 楽だろう 」 と 思っていました 
 「 この項に とり掛かりさえすれば もう 終わったのと 同じだ 」 くらいに 楽観的に 考えていました ので
      意気込んで 書き始めた のですが 想像していたのとは大違い 筆は 遅々として進みませんでした
 
 これまでのこと 実際のことを 書くのですから 書く材料には 困らないのですが 自分にとっては あれも 
これも 良い思い出 ・ 大切な事 ばかりで 捨てられないのです そればかりでなく 一つのことについて つい
ダラダラ ・・・・・ と書いてしまい 収拾がつかなくなって しまいました 他の人にとっては つまらないこと
無駄なこと 読むに耐えない と分っていることも なかなか 捨てることが できませんでした
 
 書き出す前は 書きすぎないように しつっこく ならないように
「 自分のことを あっさり 格好良く 書き表して見せるゾ 」 なんて思っていたのに 大失敗です でも
「 この グチャ グチャ したもの 全部で自分 なのだから しょうがないかー 」 と 今 思っています
 
                                                             井上洋子 記


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