2006年 5月「 東京芸術劇場 」 108.



2003年10月 まだ ボクの へん子ちゃんが 元気だった 頃 ・ ・ ・

島内の 「 ちょんこめ作業所 」 と 「 八丈混声合唱団 」 と ボランティアの 人達と

島外から 「 ゆきわりそうの 私達は心で歌う目で歌う合唱団 」 が 合流して

八丈島で 「 今 私達平和のために歌うコンサート 」 を 開き 「 第九 」 を 歌った
 
これは 「 第九 」 の 合唱が 初めて 八丈島に響いた 記念すべき コンサート

その時の 指揮者が 鹿内芳仁さん ピアノ伴奏は 河合良一さん 
 
ナント ! お母さんは 大胆にも 鹿内先生と HP友達に なってしまったのだ 〜 !

「 第九 」 について 知識も 無かったし 歌ったことも なかった お母さんなのに
 
この年の 12月には 東京国際フォーラム 一番大きな Aホールの 舞台で

オーケストラをバックに 東京混声合唱団と 約200名の人達に交じって 「 第九 」 を 歌った

これは 楽譜を見ないで 歌えるようになった 自分への ご褒美 だって サ

( このことは
「 内緒の話 」 50. に 書いてあるよ )

2004年 お母さんは 中国へ 行ってて 島で 二回目の 「 第九 」 を 歌えなかった

そして ボクの 大事な 大事な へん子ちゃんが 亡くなった ・ ・ ・

お母さんは すごく 落ち込んでたけど 気力を 振り絞って 暮れの 「 第九 」 に 、 、 、

2005年の12月は 、、、 八丈島の 「 銀巴里 」 で 鹿内芳仁さんの コンサートを開いた

本番の日が ほぼ 重なっていたから 国際フォーラムの 「 第九 」 は 無理

これは 嬉しい ! と 残念 ! が 重なって ちょっと 複雑な心境 だけど

大忙しの 鹿内先生を 捕まえるには 自分の予定なんて 言ってられなかった ら し い

2006年5月6日 東京芸術劇場 大ホールで 「 ゆきわりそう20周年記念 」

‘ 今 私たち21世紀の平和のために歌う 第九コンサート ’に 各地から 260余名が 集まり

八丈島からは 「 ちょんこめ作業所 と ボランティア 総勢 約40人 」 が 参加

勿論 お母さんも 勇んで 出かけた


本番の日 第九合唱の 出演者は 第一部を 三階の席で 聞くことが 出来

東京フィルハーモニーを バックに 鹿内先生の歌う 「 さとうきび畑 」 を 思う存分 浴びた

戦争は 二度としないという 固い決意と 亡き父上への想いが 伝わって ・ ・ ・

第九の合唱は 、 、 、 歌った人も 聴いた人も 大興奮 ! 大感動 !

でも やっぱり 聴くより 歌う それも 大勢の仲間と 一緒に歌うのが 最高 ! なんだって
 
お母さんは まだ 本決まりになっていない 間から 勝手に 参加すると 決めて

毎年 5月の 連休辺りに 剣道の 昇段審査を 受けに行く お父さんに

「 来年の連休は 私が 出かけるから ネ 」 さっさと 太い釘を 刺しておいた

何分 ボク たい君と ふーちゃんだけで お留守番 させるわけに いかないからね

お父さんは 審査を受ける場所を 変えて 何とか 乗り切った

結果はね 例年通り 、 、 、 思わしくなかった 、 、 、
 
でも それは ボク たい君と ふーちゃんの せ い でも ないし

お母さんが 「 第九 」 を 歌いに 出かけた せ い でも ないことは 明白
 
お父さんは 「 もっと 人間 相手に 練習がしたい 〜! 」 

そういえば ボクと ふーちゃんが ウ〜ロ ウロ してあげてる 側で

いっつも 棒を 振り回したり 木を 叩いたり ・ ・ ・  一人で 遊んでる ョ ?



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