ある 『 機関誌 』 ・ 『 本 』 より ー 転記

“ 祭り太鼓 ”(太鼓センターの機関誌)に、1993年7月より連載されていた、
         【みつはるの音楽手帖】を、太鼓センターの許可を得て、ここに転記させていただきます。

 今月号から「みつはるの音楽手帖」と新しいタイトル・中身で民俗音楽にかかわる唄、三味線、太鼓等々、
 音の神髄ともいうか、そういった事柄を〔齋藤満温〕氏(日本民俗音楽学会会員・“祭衆”)に執筆して頂きます。

〔齋藤満温〕氏のプロフィール 
    民謡家齋藤満温氏は、洋画家で出発されました。今から40年前「独立美術展」という展覧会で初入選し、
    当時の京都新聞に大きく報じられました。なにしろ弱冠18才の少年が入選したものですから・・・・・。
    以後、今日まで洋画家として個展も二年に一回開催されています。
               

   民謡を始めたのは25年ほど前。絵を描くために全国あちこちを写生に廻っていますが、福島県の
   会津磐梯山に行った折に、そこで聴いた民謡に今まで聴いたものとの違いを感じ、いったいどれが
   本当なのか、何が正調なのか、と色々疑問を持ったのがキッカケです。こうしたことから京都にも民謡は
   有る筈で、写生と共に民謡の掘り起こしを始め、次から次へと興味が湧き出し、今日に至っているのです。
   従って民謡は、誰にも教わらず、全くの独学であります。現在「民謡山城会」を主宰し、
   二年に一度はリサイタルを開いています。
                                       (“祭り太鼓” No,16.1.993.7.5.)
【 みつはるの音楽手帖 】      
 1.習い事 ーその1ー
 日本の民俗芸能の世界での習い事は楽器であれ、歌であれ芸を楽しむことを教わるものです。学校で教わる音楽
のように学習ではありませんから、楽しみのうちに夢中になっていきます。そしていつの間にか、自分の教わっている
対象が好きになってきます。
 稽古事は、最初から好きで始める人は以外と少なくて、友達に誘われて、あるいは演奏を見て興味を持って「自分も
稽古をしてみようか」といったところから入門する人が多いものです。稽古を始めると楽しくて、つい夢中になり好きに
なってきます。「好きこそ物の上手」はここから始まります。
 伝承芸能の世界では、技術に関してさまざまな型が作られています。型は長い年月の中で工夫されてきた基本なの
です。姿勢から始まって、技術に至るまで型は、演唱や演奏に関して最大限の効果をあげるために作られたもので守
らなければならない約束事なのです。
 夢中になって稽古をしていると、つい好き勝手な手法に陥ち込んで、「それは駄目です。」と正しい型を教えられま
す。自由に気儘にやっていれば楽しいのですが、制約を与えられるとなかなか面倒です。しかし制約は型の約束事で
すから、初級の約束事から中級・上級とより高度な約束事へと進みます。
 芸事の種類によっては、初伝、中伝、奥伝などに区分され、それぞれに免状を渡す制度などはそれで、型を重視す
る日本の芸能の特質ですが、色々な制約(型)を守るのは没個性的になるのでは、といった疑問が生じますが、個性
は教わってきた型の上に自分の型を工夫し加えていくところから出て来るものです。時として癖の強い人を個性的と
見まちがうことが有るように、芸の表現も癖を個性と間違えることがありますから、気をつけなければなりません。
                                    日本民俗音楽学会 会員 “祭り衆” 齋藤満温

 2.習い事 ー補足ー
     
「みつはるの音楽手帖 習い事 ーその1−」を読まれて、著名な民謡評論家で読者でもある
               【竹内勉】氏から一文を頂きましたので、今月はそれを掲載いたします。
 「型」という話が載っていた。この「型」とは何かということである。世の中のほとんどの人は凡人である。凡人は習っ
てもなかなか出来ない人をいう。天才は、習わなくても、見ただけで出来る人をさす。このちがいは生まれつきである。
 その天才は、やるとすぐ出来るからたいてい若いうちに始める。やれば出来るから、どんどん腕があがる。そしてひ
ととおりのものは身につける。さらにその先へ行こうと、いろいろ工夫する。まだ誰も考えたこともないことをやってみ
る。そして失敗の繰り返しの中で次々に新しい方法をみつける。そしてさらに歳月を重ねる中で、もっとよい方法を見
つける。 
 この失敗の数と工夫の数と歳月が、凡人とは比較できない量なのである。そうした天才が、生涯をかけて、才能と歳
月と努力の中でみつけた「よい方法」、それを「型」という名で、凡人たちは真似させてもらうことで、持っていない才能
と歳月を補い、とりあえずそこまでの水準へ来させていただくということである。
 凡人の工夫は、天才の数ある失敗の中にはきちんと含まれている。それで「素人考え休むに似たり」というのであ
る。
 ところがその「型」を守のを嫌う人が多い。理由は、習うと、教える人は上で偉くって、習う人は下で馬鹿だと思われる
からである。しかし物事は、教える人が偉いのではない。習う人が「そりゃそうだ。これはよい。」と思って努力して見に
つける。これが偉いのである。「型」は天才の一生を貰えるのだから、覚えなければ損である。この「損」ということを覚
えておくことである。                          民謡評論家 竹内 勉

 
3.習い事 ーその2ー
 
昨今は塾がおおはやりです。学習塾だけではなく、大人社会にもカルチャーセンターと呼ばれる文化教室がずいぶ
んと増えています。
 生活の余暇を文化に親しみ、しかも生涯教育の場とすることは、たいへん結構なことだと思います。しかし実体をみ
ると、余暇をみんなで集まって楽しむことに主眼が置かれ、内容についてはあまり専門的に深くは入り込まないといっ
た人達の多いのも実状です。そこでは習い事が受け身の形で行われます。教わる事だけを期待して自ら積極的に技
を習得するといった姿勢が乏しいのです。いつも「私はプロになる訳ではなく、楽しみで教わっているのですから」と厳
しさから逃げる場がちゃんと用意されています。
 音楽の側からみれば、プロとかアマチュアの区別などありません。質の高い良い音楽とその逆があるだけで、アマ
チュアの演ずる音楽は質の低い音楽でいいということはありません。少しでも自分の技を磨き良い音楽を演奏できる
姿勢がいつも必要なのです。
 「技は師匠や先輩から盗むもの」と云われますが、それは受け身になって教わるだけで良しとせず、積極的に習得す 
る心がけが何より大切だとの教訓だと考えて下さい。
 さて習い事は芸であり、芸は技ですから頭の中で理屈で解っていても、いざ表現してみると思ったようにはできませ
ん。教わったときは解ったと思っても、それは習得したことにはならないものです。技は身体で会得していなければ表
現となって現れてくれないものです。教わったことを身体で会得するには時間がかかります。何ヶ月何年もかかる人も
あれば短期間に会得する人もあり、個人差があってさまざまです。会得するのが遅い人は「才能がないのでは」と自
分に疑問を抱き落ち込みますが、芸事は根気良く続けるほかに、インスタント的な即効性のある方法などはないもの
です。意外な事に、最初から器用に演ずることの出来る人より遅れていると思っている人の方が、こつこつと時間をか
けて努力しますから長続きして良い結果をみることの方が多いものです。
 最近は「才能が有る」とはいわずに、「感性が有る」とよく云われます。感性が才能と入れ換わってしまった様です
が、本当に感性の有る人はまれで、そんな人に出会うと、天才かもと思います。私はごく普通の人の内に入る部類で
すから、人並み以上の練習を重ねていないとすぐに「おちこぼれ組」に入ってしまいます。何とかおちこぼれない様、
努力するしかないのです。
 
4.習い事 ーその3−
 
前回まで型のことや、技の習得などの概略的なことを書いてきましたが、今回から、私なりに体験してきたことをでき
るだけ具体的にお話ししてみようと思います。
 技量の向上は、自分ではなかなか解らないのが普通です。「幾らか上達したのだろうか?」「このまま続けていて、
はたして向上するのだろうか?自分には似合わないのではないだろうか?」
 おしまいに、「自分には才能がなく、続けるだけ時間の無駄使いでは?」
 など疑問が湧いてきて、迷い始めます。私が民俗音楽に興味を持ち、三味線を手にしたのは、40才を過ぎてからの
ことです。たまたま母親が若い頃から長唄の三味線を弾いていたこともあり、三味線の音に違和感もなく、手元に稽古
用の三味線もあったことなどから、近くに住んでいる民謡三味線の女師匠のもとへ入門したのです。師匠はある民謡
会の第一線で三味線を弾いている方で、初めて手習いを受ける私にとっては、ただ見上げるばかりの師匠でした。
三ヶ月もすると「はたして三味線が私に向いているのだろうか?」という疑問が私の中に起こりました。そこで師匠に
「三味線を手掛けて何年になるのか、毎日どれ程の稽古をされるのか」と尋ねました。師匠の答えは、「三味線を持っ
て十年になり、毎日3〇分の稽古をします」との答えでした。そこで私は、毎日3〇分で十年かかったのなら、1時間と
30分稽古すれば、三年で師匠の技量にまで行けるはずだと計算したのです。実に単純な計算です。それから毎日欠
かさず実行しました。やがて一年を過ぎた頃から、師匠の稽古場が物足りなく思えてくる様になり、師匠にないものを
自分が求めていることに気付き始めたのです。
 私のところへ、絵のこと、歌のこと、三味線を教わりたいと尋ねて下さる方がおられます。どの方も「マイペースで稽
古をしたいので、亀の様にぼつぼつお願いします。」と言われます。
 ところが皆さん兎の様に昼寝をされます。亀は休まず歩み続けるから立派なので、そこのところを見ずにただ
ゆっく
りと
ということだけで、ほとんど昼寝ばかりで、稽古日の前日に少しおさらいをして、稽古場に入ってこられるのです。
そんな中でも三年を過ぎると、「石の上にも三年と言いますが、私には才能がないのでは・・・」など聞かれます。本当
に亀になり切ればいいのですが人間面倒なことは後日にしてしまい、つい昼寝をしてしまいます。
 目標を立てれば、短い時間でもけっこうです。毎日欠かさずに稽古を重ねることです。同時にじぶんより技量が優れ
ていると思う人を念頭に置いて、追いつくことを夢とすることです。
 才能は努力の結果でしかありません。
 
5.習い事 ー4−
 
絵描きである私は、モチーフとなる物の存在感を表現することに注意を注ぎます。描かれたものに存在感がなけれ
ば、観る人の足を止めることはできません。その為に絵の基本となるデッサンを欠かさず繰り返し描きます。
 私たちは日常生活の中で、さまざまなものとかかわり合いを持って暮らしています、が、以外と物の存在感にまで関
心を持たないものです。今私の目の前にコーヒー茶碗が、灰皿が置かれています。それは存在すべく存在しているの
ですが、そんな事に気も止めず暮らしています。
 良い音楽を聞くと、音がちゃんと存在していて、手に取るように聞こえてきます。音は残響があったとしても消えていく
時間芸術です。姿、形がある訳ではありません。それでも確かな存在感があります。私たちの心に残る良い音楽ほど
この音の存在感が重要な要素で、これが感動へと聞く者を導いていくのだと思います。
 音楽を習い始めると、何とか早く一曲が弾けるように、打てる様にと、そればかりに気をとられ、基本的な事を忘れ
がちになります。一曲覚える、すぐに次の曲へ関心が動きます。
 私が民謡の師匠について一年、これで良いはずはない、と思って次についた師匠は長唄の師匠で、岡安三七という
歌舞伎の舞台を永年勤めた師匠でした。ここで初めて芸事としての音楽の厳しさが基本を大切にすることであるのを
知らされました。
            
 大変厳しい師匠で、履き物の脱ぎ方から戸の開け閉め、稽古日に着用する衣服にまで注意が飛びます。「教えを乞
うのに普段着で来る馬鹿があるか!」と一括されるのです。稽古場では誰かが稽古をつけてもらっている間、控えの
部屋で正座して音を聞いて曲を聴き覚えるのです。
 実際に撥を手にして弾き始めるまでに、稽古に入る前の心の姿勢から物の習得が始まるのだと思います。それが真
剣な稽古場の有り方でしょうし、そんな中から良い音が生まれてくるように思えます。今は少し厳しくすると「人が集ま
りません」などと言われます。人集めの為に少し甘くする、教える側が習う人の歩調に合わせる、といった稽古風景を
よく見ます。結果的にはものにならない人ばかりを作りあげる事になりかねません。
 和太鼓は今はブーム現象の中にあります。誰でも桴を持って打つことができます。「太鼓を打つ事でストレスの発散
になります。」など聞くと「これでいいのか」とおもわざるをえません。 
 
6.
 
近頃よく「和太鼓のブームですね」ということを耳にします。それは太鼓センターが京都にあって、その活動の故にと
いうことだけではなさそうで、全国的にも和太鼓の演奏グループは増えていますし、脚光も浴び又民俗音楽のグルー
プとしても期待されているからだと思います。そんなことから「ブームですね」という言葉を聞くのかもしれません。     
 ブームといわれることは、和太鼓の演奏にたずさわっている者には有り難いようですが、ところがブームは流行現象
に似て、一時期は強い脚光を浴びて、音楽活動の全面に出てきますが、かならずかげりのあるものです。
 陽の眼を見る、ということは陰のあることと知って、かげりの来ないよう手を打っておかないと、長続きせずに流行が
去ってしまう終焉を迎えることとなります。
 ブームを単なる流行現象に終わらせないために今何をしておくか、この問題のテーマは和太鼓にたずさわっている
人達、プロ、アマを問わず考えてみる時期にきているようです。でないと「和太鼓のブームも過ぎましたね」とみじめな
言葉を聞かなければなたないことになりかねません。
 音楽は聞く人を激しい興奮状態へと導くものと、逆に心静かに感銘を与える鎮静作用をもたらすものとに区別されま
すが、和太鼓の演奏は興奮作用を与えるもので、聞く側もそれを期待しているものですし、どうしても激しく打つ曲が
中心となっています。しかも今は多勢での組太鼓が主体のグループですから、和太鼓の数でボリュームを上げて、
衆を驚かせるといった現象が多く見受けられ、相撲の「寄せ太鼓」のように、芸として聞かせる者が少ないようです。
演奏する方も量で聴かせることに自らが興奮し、酔ってしまっている、そんな現象がみられます。
 これからは、音楽としてのさまざまな要素を加味し、驚かせる太鼓から聴かせる太鼓へと一歩踏み出して行くところ
へきているように思います。
 聴かせる太鼓を打つためにには、個性的な打ち手が必要です。力強くダイナミックな演奏を得意とする人など、個人
の芸が問われるところへきているようです。同時に個人の芸を育てる人、育てる曲も必要なようです。
 7.
 
日本人が持っている音への感性は、ヨーロッパの人達やアメリカの人達とはずい分と違うようです。
 私たちは自然から発する音に関しても、情緒的な感情移入で音を美しいものとしてとらえています。風の鳴る音、水
の流れる音、そして生きものの鳴き声も音楽的な感性でとらえ音楽の中で表現して行きます。雑音に近いものでも自
然から発せられる音なら抵抗感もなく受けとめています。一方人工的な機械音となると「うるさい」「やかましい」となり
がちです。こうした感性は日本の楽器にもあてはまります。
 元々は中国から伝わってきた楽器を日本風に改造し、純粋な単音に複雑な濁音をつけ音色を楽しむ楽器へと変身
させています。琵琶に始まって、三味線、尺八、いずれも濁音の入った音を発する楽器へと造り変えられていて、音
色を楽しむ楽器となっています。
 一度尺八の演奏会で、ポピュラーなポップスの曲が演奏され、その中にリズムをとるために洋楽のドラムが加わって
いたのですが、尺八の音色とドラムが合わなくて、何ともリズム音がうすっぺらく感じ、和太鼓の方がぴったり合うので
はないかと思ったことがありました。
 これは洋楽器と和楽器だけの問題ではなく、和楽器を中心に演奏する人達に共通している、音色に対する意外なほ
どの無関心さにあるようです。
 例えば三味線で合奏曲を演奏する時、三味線の胴皮の張りが同一の三味線張師による三味線ですと同じ音色の合
奏となりますが、違った三味線が加わると違和感がでてきます。
 同じ様なことを和太鼓の演奏の時にも感じます。和太鼓の場合には個人で太鼓を購入することが少なく、グループ
で購入するか借りてきて集めるといった場合がほとんどですから、メーカーもまちまちの太鼓で数だけそろえるといっ
た事になりがちです。そうなると、聴く側からすると音色を楽しむことをあきらめて、奏者の撥さばきがそろっているかな
ど、音楽以外のところへ関心が向けられてしまいます。中には強い張りのある太鼓と、張りのゆるい太鼓を区分けし
て、低音と高音とに区分して、太鼓の位置を構成しているグループもありますが、せめて寄せ集めの楽器の場合はそ
れぐらいの注意は欲しいものです。
 また楽器に対する取り扱いの乱暴さも側で見ていてはらはらします。「身銭を切って購入すれば、あんな扱いはしな
いだろうな」と痛感するような場面もよく見かけます。奏者にとって楽器は大切な分身です。大事にあつかいたいもの
です。
 8.
 
長唄の稽古の時に、師匠から「間拍子が悪い」とよく注意を受けました。メトロノームに合わせてみるときちんと合っ
ているのですが、「拍子が悪い」と叱られるのです。
 私達は連続する拍子をリズムと言いますし、ついついリズム感の良し悪しを、時計の振子のように正確であれば良
しとしています。私もその様に考えていましたし、正確なリズムが大切と思ってやってきました。
 確かに基本的にはその通りなのですが、それは西洋音楽の考え方で、邦楽の世界では少し違うようです。邦楽では
連続する拍子の音の間を大切に考えます。一つの音と次の音の間を大切にすること、どんなにテンポの早い曲であっ
ても、音のない間を聴く者にはっきり感じさせる様拍子を取って演ずる事を良しとします。
 音の無い間を溜{ため}と言い、溜のない間拍子を振子拍子と言い、表情のない拍子として嫌います。
 音と音との間をどの様に計るかが演者の哲学や曲への考え方がにじみ出てくるのです。その為に「間拍子」という
表現を使うのです。ですが、この間拍子を取るために溜を作るのは大変むつかしく、唯間延びをしてテンポを狂わせて
しまうことになりかねません。間を作るには唯各自が自覚して練習を重ねるしか、これはという良い方法などはありま
せん。
 元来日本人は「間」という観念を生活の中の大切な要素としたて取り入れている民俗です。過ぎて行く時も、朝の
間、昼間、夜の間といった様に、時の間を時間としてとらえ、全体像として人間と言います。こうした、時間、空間、人
間等を含めて「世界」と呼び、その中で調和の保てない人を「間抜け」と言います。この「間」という問題は、それだけで
も一冊の本となる内容が含まれていますから、わずか一頁では語りつくせませんが、こうした私達の感性が音楽にも
色濃く反映していると思います。
 時計の振子の様に正確な拍子を無視して良いと言う訳では決してありません。むしろ振子拍子はリズムの基本です
から、正確に振子の様に拍を刻むことから始まるのですが、大切なのは自分の振り子を創ることです。
 時計の振子は時を刻むことが目的、音楽の拍子は音楽を聴かせることが目的です。
 9.
 
先月号でたまたま「間」に関する文章が脱落していましたので、ここであらためて書きなおすこととしました。
 私達日本人は「間」という言葉を生活のあらゆる場で使っています。
 生活に即した用語として「間尺に合わない」「間近」「間の悪い」「間ちがい」など、あまり深く考えずに「間」という言葉
を使っています。
 武道なんかでも・「相手との間合いをとる」とか、「間をはずす」「間をはかる」など距離感と時間的な感覚をも含めて
「間」が使われます。
 音楽の世界でも、「間拍子」「速間、遅間」「ころげ間」「半間」「表間、裏間」「三ツ間」など数多く「間」に対する表現が
使われています。
 こうした、生活、スポーツ、芸能に至るまで「間」を重視する感性は日本独自のもので、日本文化を理解する上で欠
かせない要素でもあります。
 私達の生活の中で、過ぎて行く一日を「朝の間」「昼の間」「夜の間」と区分し、限られた時は刻限と言い、一時から
二時の間を含めて「時間」と言っています。
 また私達の生活の場あるスペースも「玄関」「居間」「茶の間」「奥の間」と言ったように広さも含めて「間」で表現して
います。
 そして私達の友人達を仲間と呼びます。私には絵描{かき}き仲間が有り、その絵描{かき}き仲間の一人は、ゴル
フ仲間を持っています。民謡の仲間の中には、俳句や短歌を詠む仲間を持っている人もいます。人はこうした仲間を
持って連帯しつながっていて、仲間をみんな合体した集合体を「人間」と呼んでいるのです。
 こうした、時間や空間、そして人間も含めて「世間{世間}」が構成されていて、この「世間{世間}」の中にはどうして
も、うまく調和のとれない、少し間のはずれる人も中にはおられます。
 そういう人を「間抜け」と呼んでいるのです。音楽の仲間にも「間抜け」や「とん間」な人が加わると合同演奏がたいへ
んえんじにくくなってしまいます。
 日本の邦楽は、「間の音楽」とも言われ、中には「無音の間」などに称される長い空白の間が有ったりします。それは
全くの休止でなく、緊張感の持続として拍子の入らない間などが有ります。
 日本の音楽では、拍子と拍子の間を充分に考慮に入れて、リズムと言っているのです。
 拍子が点であるとすれば、間は点と点を結ぶ線に似ています。邦楽で言う間拍子は、点を無数に並べれば線になる
と言ったかんかくで拍と拍の間も含めた結合体として「間拍子」と称しているのです。

   
前回の『みつはるの音楽手帖』で編集部の手違いにより、文中の大事な部分を落としてしまいました。
   今回は、その部分も含めて新たに書いていただいたものです。失礼を深くお詫び申し上げます。(編集部)
                    
10. ー運べない音ー
 年の瀬を迎えると、一年間の回想気分が頭をもたげます。“祭衆”に加わったおかげで、さまざまな地方公演にも参
加でき、いろいろな人たちとの出逢いや、お国ぶりの話など、民俗音楽を勉強するものにとっては、たいへん参考にな
る旅を重ねてきました。
 旅にでて、行く先々での郷土料理が素敵に思い、土産にと買って持ち帰り、家族で食べてみるとさほど美味でなくが
っかりすることなどもしばしばです。郷土料理は、その土地の風土と合いまって味わいが出来ているので、風土や雰
囲気が変われば食べる方の感覚も違ってくるのでしょう。
 民俗音楽にもこれと同じようなことがあてはまりそうです。外国の民俗音楽団の日本公演を聴くとき、「これを現地で
観ているならもっと感銘を受けるだろうな」など思うことがあります。それは土産として頂く郷土料理と同じことで、違っ
た土地へ運んでくると、別世界のものめずらしさだけに終わってしまって深い感銘や興奮する感動が起こってこなくな
るのです。
 元々民俗音楽の楽器は、西欧の近代音楽の楽器のように完成度の高い楽器ではありません。その土地の風土の
中から創り出され、自然条件やそこでそこで暮らしている人達の感性に合わせて改良されつつ出来ている楽器ですか
ら、そこから発せられる音は、その土地の家の造りや、自然のたたずまいと調和して溶け込んでいるものです。ですか
ら現地に行って、その土地の風土の中で聴く時と、自然条件の違う所聴くのとでは大きな違いが起こってきます。
 民俗音楽の楽器それ自体はどこへでも運ぶことが出来ますが、音は運べないものなのでしょう。最近は国際交流の
名のもとに、安易な民俗音楽の紹介が上演されます。ただ外国の民俗音楽団を呼んでくればと、手軽な企画での劇
場公演は民俗音楽の魅力を半減させるだけに終わってしまうことになりかねません。   
 近頃は「音楽は世界を結ぶ」などのキャッチフレーズで海外公演のツアーが盛んで、アマチュアの団体がこれに参
加されるのをよく聞きます。帰国するなり自慢話が出て、うんざりさせられます。本当に民俗音楽を大事にし、その育
成と発展を考えるなら、安易な海外公演は考えなおさなければと思います。                   
11.
 情報化社会と言われるにふさわしく、今は居ながらにして世の中の動きが、どんな所でも瞬時に伝達される状況が
あります。
 ほとんどの情報は、東京に集約され、発信されますから、受け手の方はつい「東京では」といった「東京メジャー」式
の感覚で受け止めてしまう結果となりがちです。東京発の情報が今一番先鋭的なものとして脚光を浴びるということ
になります。東京的であること、あるいは「東京では受け入れられるものであろうもの」が、時代の先端を駆けている。
最もメジャーなものといったバロメーターがあるようです。確かにそうした側面は東京だけでなく、大都市といわれると
ころにはあるのも事実です。なぜなら、大都市にはすぐれた素質や技術を持った人達が裏方として活動していますか
ら、表に顔を出さないすぐれた感性の担い手の知恵や協力により、より密度の濃い、質の高いものが創造される可能
性は高いのです。
 さて、地方公演に出て、いつも感ずるのは、地方の都市化の現象です。驚く程早いテンポで都市化は進んでいて、
どんな市町村にも立派なホールがあって、しかも充分すぎる設備を整えています。大都市で催される内容を、そのま
ま上演できる機能を持ったホールが造られています。都会と地方都市との地域的な格差を芸術の上でなくして行くと
いう意味から、大変結構なことだと思います。ダイレクトに大都市の文化に接することもできますし、メジャーなものに
触れる機会にもなります。が、実情は少し違っているようです。立派なホールを使いこなすことのできる技術者が地方
には少なく、あるところでは、市町村の職員が担当されるホールも少なくありません。昨日まで市民課の窓口業務だ
った方が、ホールでの照明や、スピーカーを操作しておられる例も数多く見られます。これでは地元の方々がホール
を使って公演をされる時と、大都市から技術者を伴って移動公演する方々とに格差がついてしまい、地元のものが見
劣りがするといった現象が出てきます。
 さて全国に和太鼓のチームもたくさん誕生し、さまざまに若さと活気に溢れた活動をしておられるのは結構なことで
すし、これからもどんどん活動は広がり、チーム間の交流も盛んになってくることでしょう。各地で交流会や講習会など
も催されていますが、そのほとんどが演奏者の人達を中心としたもので、スタッフの人達の交流会など聞いたこともあ
りません。だけどこれからの舞台を考えれば、各チームの中で、裏方に徹し、地元のホールの設備を充分に生かせる
スタッフの養成が大事だし、急務だと思います。
 スタッフの養成こそが、メジャーと言われるものの存在が大都市だけでなく、むしろオリジナルな地元の文化を育て
ていく道につながっているのだと思います。
12.
 
稽古事にかぎらず、「石の上にも三年」という諺がありますが、以前の稽古事にかけた時間と現在の稽古事の時間
とでは、ずい分と違いがあります。以前は、月の内、例えば三と五のつく日は稽古の休みの日で、後は毎日稽古のあ
る日となっていました。従って、月の内六回休みあっただけです。私も16才の頃、絵の教室に通い始めた頃は、日曜
日だけが休みで、毎夜6時30分から3時間が実習の時間でした。いつ頃かは正確には覚えていませんが、昭和30
年代頃から稽古時間が少なくなり、曜日単位に変わってしまい、今では月に二回とか三回の稽古日と少なくなってき
ています。習い事をする人も、広く浅く主義となって、スポーツから芸事まで時間のゆるすかぎり何でもチャレンジして
みるといった現象がみられます。自分の可能性を発見するために、いろんな事にチャレンジすることは良いことかも知
れませんが、何ものもつかめない内に「もう三年にもなるのに見込みがないから」と他に移ってしまう人達が多いのに
驚かされます。昔の三年と今の三年では比較にならないのに諺だけが昔のまま利用されているようです。先日ある
パーティの席でのことですが、若い時から30年もソシアルダンスに打ち込んでいる先生と同席した時に「ダンスの見
所のポイントはどこにあるのですか」と尋ねたところ、「背中の線が美しいかどうかでしょう」との答えで、日本の舞踊と
同じ事なとふと思ったのです。自分の眼で確かめられないところにどれだけ神経が行き届くか、全く無防備な背中を
美しく見せることの大切さ、これは三年そこそこでできる技ではないようです。
 さて和太鼓のグループも、しばらく見ない内にがらりとメンバーの変わってしまっているグループをよく見かけます。
最初は熱病にかかったように熱心になるのですが、いつか一人消え、二人去ってメンバーが入れ替わってしまってい
ます。それぞれに理由があり、事情もあるのでしょうが、グループ活動の場合メンバーの出入りが多いのは充実した
活動体勢がとれないばかりか、練習にも力が入らなくなります。すべてインスタント時代の昨今ですが、芸事だけはイ
ンスタントではできません。根気よく続ける努力が必要です。ただ続ける才能だけは持ちたいものです。江戸時代の
書物に、「宗匠とは道を開く者なり」「師匠とは道を伝え、迷いを解く者なり」とあります。迷いとは技術上のことだけで
なく、人生相談をも含んでいます。サークル活動を続ける上では、音楽的な感性と技術に少し優れた人と、仲間を離
散させずコミュニケーションを保つ事に優れた人と、この二人のリーダーがどうしても必要です。どちらが欠けてもサー
クル活動は前進しては行けないものです。
 インスタントカルチャーに浮き沈みしている現在、「我がサークルは」とみつめてみる必要もあるようです。
13.
 
幼児の頃、父親に散歩に連れてもらった時、近くに日本画家の土田麦僊が住んでおられ、画家は麦畑で麦の穂を写
生しておられたのですが、当時はその畑お百姓ぐらいにしか思っていなかったのですが、のちに私が最初の個展を開
いた時、父親から、土田麦僊が毎日の様に麦の穂を写生しているので「どうして同じ物を先生程の人が描くのか」と尋
ねたら、「その日の天気具合で、穂の表情が違うからです」との答えで、人間努力を欠かさず行うことで、人には見え
ないことに気がつくものなのだと教えられたことがありました。近頃になってその言葉が自分の中に大きな教訓となっ
て蘇ってきます。
 自分の才能は自分では解らないものです。絵の教室の中で生徒さんから「先生は才能がおありだから」とよく言わ
れますが、私は一度も才能や素質があると思ったことはありません。むしろ逆で「才能があったなら」とどれ程思った
か知れません。                                                              
 絵を画く人は、比較的自分の作品を客観視できて、「自分の考えた様に描けていない」など、能力の程度を見る事が 
できますが、音楽は時間芸術ですから、客観視することが絵の様にはできません。それだけ迷いは深くなるようです。
自分の作品を目の前にしながら批評を聞くのと、演奏を聞き終えて頂いてから批評を受けるのとでは、ずい分と開き
があるようです。まして個人芸術としてしての絵と、複数のアンサンブルで演ずる音楽とでは、注意を受けた箇所の手
直しにも、時間と面倒さが違ってきます。ですが、いずれも基本となるのは個人の技量の問題です。長唄など師匠連
中の会などは、立役の注意で音楽の表情がすぐ変わります。それは個人個人の技量が一定の水準にあるからで、こ
れは洋楽も同じ事です。ですから、まずは自分の腕を磨くしかありません。それは日々の努力です。努力とは、ただ
稽古あるのみかと言えば、そうでもないようです。自分の中に生じた問題点や壁を乗り越えるためには、さまざまな面
から自分を刺激することが必要です。ただ闇雲に稽古をすれば良くなるものではありません。良い音楽を注意深く聞く
ことや、仲間とのおしゃべりの中からヒントを得るなど、「よし、やってみよう」と自分の中のエネルギーを燃やす刺激が
いるようです。稽古の繰り返しは、単調で平凡なことです。平凡なことを繰り返し繰り返し行うことで、人には発見でき
なかった事を見い出したり、気が付いたりできるものです。第三者はその時、「あの人は非凡な才能の持主だ」と思う
のです。
 私には才能がないからと諦めず、続ける努力こそ才能を引出すことになるのだと思うことの方が大切です。
                    
14.
 
私達の感性は耳にする音を、生活体験を通して感情移入して聞きます。
 幼かった頃、病弱で熱を出しては学校を休んで床につくことが多かったのですが、夏風邪で学校を休んでいる時、
昼下がりに外を行くつっかけ下駄に「カランカラン」と引きずって歩く音が照りつける夏の太陽に対して、何とも気だるく
感じ、以来カランカランと下駄の音を聞くと、夏の日照りを連想するようになり、つっかけ下駄は私にとって、夏の象徴
となっています。人はさまざまに音に対する自分史を持っているものです。また誰にでも共有できる音の象徴でもあり
ます。
 納豆売りや鰯売りの掛け声は朝を連想させますし、金魚売りや太鼓の響きは夏の日や、盆踊りを連想させます。音
は季節や、時間を、あるいは想い出までも掘り起こしてくれたりします。それは私達の感情移入が多いからかもしれま
せんが、それがまた日本人の自然に対する深い親しみの感性であるからかも知れません。邦楽の世界では、自然の
音や、人為的に発せられる音をたくみに取り入れて、音楽として表現しています。長唄の「秋の色草{いろくさ}」の中
に、「虫の合方」という三味線の間奏曲がありますが、秋の虫の鳴声を見事に取り入れて表現している有名な曲で、
長唄では、三味線だけで水の流れを表現したり、滝の音を表現して見せるなど自然の現象や音を擬音化して表現し
ます。こうしたことは、日本人が生活の中で体験し感じ取る音への感情に鑑賞者と共通の感情があってはじめて音楽
としてなりたつもので、共通の認識がなければ理解されないかも知れません。アフリカの人達が、リズムに対して豊
かな感性を持っているいるのと同じ様に、日本人は音そのものにさまざまな意味を持って聞こうとする民俗だと思いま
す。それが、音色という言葉を産んだり、音の深さ、音の鋭さ、無音の響きなどの言葉で音を求めることになっていく
のでしょう。
 和太鼓が、これ程の音楽ジャンルとしてクローズアップされてきたことは、かつての邦楽の世界ではなかった事だけ
に、大きなエポックだと言えますが、急激にふくらんできただけに、さまざまな問題に直面しているようにみえます。そ
の一つに今までに書いてきた「音」そのものの問題が有るようです。
 合奏による演奏が中心で、しかも太鼓の持つダイナミズムが魅力となっていますから、演奏者同士で撥さばきを合
わせる事だけで精一杯で、音の魅力をどのように引出すか、各自が打ち出す音への神経をどの様に注ぐかといったと
ころまではまだまだ行かず、唯々ボリュームいっぱいの爆音的演奏で来る人を驚かせる、そんな所で足踏みをしてい
る様に思えてなりません。もう一歩進んでみてはどうでしょうか。
15.
 
京都市の東、佐賀県へと続くところに、山科区があり、そこに古い醍醐三宝院が建っています。三宝院の裏山は一
歩踏み込むと蔦のからまる古木から、さまざまな雑木が鬱蒼ととおいしげった森で、寺院の境内ということがあって、
自分をみつめるには良い場所です。
 その森に入って新緑の木の葉から漏れるこぼれ陽{び}が暖かく、スケッチをしていると、若葉をかすかに揺らす風
が渡る音の他は、ただ静けさだけがあたりをつつみ込んでいます。そんな中で静寂に絶えられない如く静止した空気
を突き破る様に鶯が一声鳴くのです。一瞬、あたりに静寂を破る緊張感が走ります。その後はまた何事もなかった様
に静けさが戻るのですが、その静けさは以前にもましておごそかな静寂へと帰っています。
 筆を止めて、また鳴くであろう鶯の声を待つ自分、そんな自分は音が発せられる一瞬の緊張感を期待して待ってい
ます。
 静寂さと、それを動かす微風、そして鳥の一声は、まるで笛と鼓の掛け合いを連想させてくれます。
 過日、笛の名手、鮎沼広行氏の「笛と太鼓のための道枢{どうすう}」を聞き、組太鼓には見られない素晴らしい響き
に身体のひきしまる思いをしたことがあり、笛と大太鼓の激しい掛け合いでありながら、その音は心を和らげ鎮静化さ
せて行き、和太鼓にみられる、高まる興奮化とは全く逆の効果を上げて行く音の不思議さに驚いたことがあります。
それは氏の音楽に対する哲学、日本音楽、それも伝統音楽に対する深い洞察、同時に自然から学びとる姿勢、こうし
たことが合いまって創作されてくる音楽が、日本人の自然観感に共鳴をもたらし、しかも笛と和太鼓の二人だけの掛
け合い演奏であっても、質の高い音楽が創造され、演奏されるのだと深い感銘を覚えさせられるのです。
 音に対するこだわりが、最近は強くなって、一つの物が存在するのと同様に、音の存在感が引き出せたなら、とそれ
ばかり考えるようになりました。それにしは何度も何度も反復練習する必要があるのでしょうが、ただ闇雲に練習を繰
り返すのではなく、自己の感性を高める勉強も必要で、自分の理想とする感性に音を向けていく努力を心掛ける以外
に道はなさそうです。それには基本的なことがしっかりと出来る必要があります。どんな事でも基本がすべてのようで
す。巧く演じようとすることは、上手くごまかすことにほかならない事がようやく解ってきたようです。有り難いことです。
16.自然と音 ーその一ー
 ふと外の景観に眼をやると没個性的なビルが所かまわず建てられてゆき、自然のたたずまいを無視するような建物
が見られる。北海道から九州まで同じ型の家が建てられるのも、経済効率を良くするとか、現在の文明生活の合うた
めために、といったことからなのでしょう、音の様にその土地の風土に合った建築様式などはなくなってきています。
 かつての自然と同化していく日本人の営みから、都市型の生活へと変革したことで、自然重視から科学重視への
移行でもあります。そんな中で音に対する感性も変わってきています。
 今はエレクトロニックな機械音で、刺激的な音が主流を占めていて、音楽を聴く姿勢より、身体で感ずる、一種の興
奮剤の様な音が好まれています。
 都市型の生活の中では、伝統音楽は退屈だと感ずるのも無理のないことで、日本人の音のとらえ方も国際化したと
も言えるのかもしれません。裏を返せば、日本独自の音に対する感性が失われつつある時代でもありましょう。
 日本の音楽が、曲により自然と切り離せない関係で創られ鑑賞されてきたものが、今日的な生活様式に合った音
楽として創作されて、それが受け入れられるのは当然で、「歌は世に連れ」と言われる様に「音も世に連れ」に変わっ
ていって何の不思議もありません。
 時の流れに抗しようとか、刺激的なサウンドを否定はしませんが、一方に、音そのものを味わうという音楽もあること
を忘れずにいたいのです。
 日本人が、自然環境の中から生まれてくる、生きものの鳴き声や、風の渡る音、水の流れる音などを雑音と思わず
に、音楽の中に積極的に取り入れてきたことは、ことさら音楽だけではなく、あらゆる「道の思想」の中にみられます。
茶道、華道、書道など芸道に至るまで、心のありようを、自然との共同体のようにとらえています。
 道に対する考え方は、時には抽象的に説明されたり、あるいは教訓的であったりして、適格に理解するのがむつか
しく、受け止める人の理解で様々な捕え方がされます。「清心」とか「無心」などの言葉で語られる道への姿勢は、自
然と同化することを目標のように語られており、自然と人間への調和を良しとする考え方があります。
 こうした考えは、日本の古典音楽にも色濃く現れています。 以下次号
17.自然と音 ーその二ー
 
西欧の音楽の世界では、声楽であれ、器楽であれ、正確な音、雑音の入りこまない音、楽譜にかかれた音を、より
正確に忠実に表現する事が大切とされています。
 私も学校教育の中では、西欧風な考え方で教わってきました。例えば男性で潮辛声の生徒は、その声質故に音楽
の成績が悪く、雑音の少ない発声の出来る生徒は成績が良い、とされて音楽に対する個人の感性などあまり問題と
されずに評価され、声の良し悪しで成績が決められていました。
 漁師は潮風の中で話し唄います。潮辛声は生活の声であり、その声で唄われる大漁節を聞く時、漁師らしさが実感
されます。
 また農夫は、ひなた臭く開放的な発声ですし、芸妓連は艶っぽく甘い声でお座敷唄を唄います。こうして職業がその
まま自然に音となって表れて来ます。またそれが民謡の持っている面白さでもあるのです。
 教育の中では、皆同一化された音を要求されますし、地域性も持ちません。それは、あたかも標準語に似ていま
す。音楽の時間は、まるで社会倫理学の様に、正しく正しくと教えられます。生徒は唯退屈し、次第に音楽に対する
自信を失っていくのです。こんな体験は果たして私だけの体験なのでしょうか。
 今民謡にのめり込んで居る私には、日本人が歌をいかに生活の中に取り入れ、活用してきたか。仕事仲間と、ある
いは村人たちと共同作業をする時、唄を歌うことで作業をスムーズにさせ、人と人とを結び合わせる役目を果たしてき
ています。また一人で馬を曳いたり、船の櫂をこぐ時に口を突いて出る唄は自然と人とを一体化させていきます。
 民謡は人と人とを結び、人と自然とを繋いでくれる音楽だったのです。そこでは教育の中に見られる正しく純粋な音
でなくても良い、又特定の技術者だけが出来る表現技巧がなくても良い、どんな声で唄っても良い、聞く者も唄い手と
一緒になって、身の周りにある茶碗であれ、桶であれ、棒切れでも良い、拍子を取って和していく、それが音楽に対す
る自然な姿であったのです。そんな感性が西欧では雑音とされる自然の音も、鑑賞に値する音として受け止めてきた
のです。とは言っても、音に対して決して無神経ではありません。音楽として生かして行くだけの感性は持っています
し、むしろ自然からの音を擬音化して表現する時、音色の広がりや、深さなどといった精神的な面での音の空間を求
めさえします。特に音色に対してその個性を大切に考えるのが、日本人の音に対する感性の大きな特質でもありま
す。
18. 自然と音 ーその三ー
 
「音色」と「間」を大切に扱ってきた日本人の音楽感性は、農耕民俗の特長とも言われますが、音色の好みを見る
と、金属音はあまり好まれず、木や竹といった、自然の中から入手しやすい材料で造られた楽器が主流を占めていま
す。
 和楽器はどれも不完全楽器で、例えば篠笛一管とり上げても、同じ調子の笛でも、それぞれ微妙な違いが有り、均
一化されたものはありません。それだけに、奏者は自分の持っている楽器の特長を知り、その器楽の一番良い音が
出る工夫をこらしますし、自分の音の世界を創り出すのに生涯を賭けるのです。
 こうして音について考えていくと、和太鼓に取り組んでいる人達が、以外と音に対して無頓着だと思われます。それ
にはさまざまな理由が有りましょう。まず自分の楽器として太鼓を持たない、常に借物であること、そのために楽器に
対する関心や愛着が生まれない。
 太鼓は撥のあたる箇所により音色は変わるものですが、楽器が借物では、しれをためす意欲は出てきませんし、
もっと良い響きを、もっと深い音を、と音に対するさまざまな欲求も生まれてきません。
 和太鼓は自分で持ってみても、それを打ち鳴らし稽古する場が見当たらない、といった条件的な制約が有ります。
都会で完全に防音設備の備わった練習場所はそう簡単には見つかりません。そんな事がネックとなって、個人で和 
太鼓を購入する事がむつかしくなる要因となるのでしょう。
 でも和太鼓のグループが次々と誕生していくのは、どこかで条件を満たしてくれる稽古場が確保されているからで、
その利用の方法に個人の意識差が有るのではないでしょうか。
 私の知る範囲で、和太鼓の練習風景で、自分の打つ音を録音している人を見かけません。ほとんどが組太鼓です
から自分の音が解らないから録音しても無駄だと思われるかも知れません。しかし、組太鼓の曲であっても、基本的
には個人の技量の質の積み重ねです。稽古場に少し早く来て、自分の音を録音してみるぐらいの関心があっても良
いと思います。
 最初は耳を覆いたくなる音を出していても月日と共に、その欠点が解るようになります。
 誰でも経験することですが、自分の声を録音するとまるで他人の声の様に思えますし、まして歌など、録音では聞
けたものではないと思うのです。しかし月日と共に、どこが悪いかが解る様になるものです。
 和太鼓の場合も同じ事です。自分で打ち出す音やリズムをしっかりと知る事が、技量の向上へと繋がっていきます
し、又音そのものへの関心度も変わっていくものです。
19.
 
私がかかわっている絵画サークルで、グループの人達が作品展を催されるのですが、それぞれに頑張って、今年こ
そは良い作品を出品したいとの思いで絵筆を持たれるのですが、描いて行くうちに、考えていた様には行かず、迷い
が生じ、袋小路に入り込んで行き、「こんなことなら最初から油絵など始めなければよかった」とつぶやかれます。とこ
ろが展覧会の会場では、お客様から「素人でこんなに絵が描けたら楽しいでしょうね。」という声が聞こえてきます。
 音楽もまた同じ事で、発表会の日までは、出演者は稽古に追われ、「こんな事なら最初からやらなければよかった」
と思いつつ、時間をやりくり稽古に励むのですが、それでも会場のにお越しになったお客様からは、「あれだけできれ
ばきっと楽しいだろうな」と感じられるのです。
 誰でも習い事を始めるときは、「プロになるのではないから、楽しくなればそれで良い」と思って始められます。「いつ
かきっとたのしめる日が来るから」との思いは誰にも有るのですが、なかなか楽しめる日がやっては来ません。おそら
く生涯かけても楽しめる事はないのかも知れません。
 芸事は一生が精進で、何才{いくつ}になろうとも稽古が必要ですし、おこたることは出来ません。
 今はプロと呼ばれる人と、アマチュアの人達のお稽古は先ず曲を覚え、ただ間違えないよう一生懸命、覚えた事の
復習が中心になりがちです。
 プロは会場を想定し、鑑賞者を連想して、いかに楽しんで頂けるかを考えます。その為の工夫が稽古となるのです。
曲を覚え、間違いなく皆と合わせるいうことは個人の問題で,各自が個人ですませておかなければならない練習なの
です。
 ひとたび舞台へ上がれば、来場者にどれだけ楽しんで頂けるか、そこに自分の技量を集中させて行く、演奏を楽し
むのはお客であり、自分自身が楽しんでしまえば会場は白けてしまいます。お客を楽しませることは、決して客に媚
びることではありません。客受けをするため媚びる人もありますが、これは論外で、不愉快さが残ります。
 音楽や曲に対する、解釈や哲学を、演奏の中に織り込んで、楽しみに変えて提供する。この様な意識が稽古の中
にあれば、「まるでプロのようだ」と簡単されるでしょうし、演奏会の楽しみが倍増されます。
 一生懸命間違えない演奏から、楽しんで頂く演奏へと一歩踏み出してみて下さい。
20.
 
一緒に集まって練習する仲間の中に感性の豊かな人と、少し鈍い人とがおられるのは事実です。
 音楽に手を染めている以上は、少しでも自分の感性を豊かにした方が良いにきまっています。そこで、感性の鋭い
人と鈍い人と、どこが違うのか、それを考えてみましょう。もし違う所、その原因が解れば、自分を知り、同時に感性を
少しでも豊かにする手がかりがみえてきます。
 まず感性の豊かな人は、ごく一般的に普通の人とは、どこかが違うものです。物の見る見方、気の付き方、言葉使
いなど、一見「変な人だな」と思う事すらあります。が、変人のようにみえても、それは頑固な人よりも視野も広く、自
分の意志を伝える言葉に説得力を持っているものです。
 感性の鈍い人とは、日常生活の「慣」の中で皆なと同調していれば安心と云った生活術におち込んでしまっていて、
感受性が鈍くなってしまっているんです。自分で発見したり感ずる事がなくなり、人の感じた事の説明のあとで、「あ
っそうか」と気が付くといった、後手に廻った気の付き方となり、たとえ感じていても、明確でなく、ぼんやりとしてい
て、時間の経過と共にうすらいで消えてしまうのです。日常生活の中で常識的なな平凡さに慣れてしまうと、感性は
鈍り、いつも誰かに先を越され、コロンブスの卵を見せられる結果となってしまいます。
 感性の豊かな人を第三者の側からみると、「ユニークな発想をするひとだな」としばしば思うことがあります。ユニー
クな発想は、その人の物に対する見方、考え方に自分にはない巾の広さ、注意深さがあり、同時に自分で感じた事
を自分の中に閉じ込めないで、意思表示する勇気を持っている人です。
 「馬鹿にされるのでは」「笑われるのでは」などと思って、黙ってしまえば、自分の感性は表に現れてはきません。
感性は積極的に物事チャレンジする精神の中にこそひそんでいるものです。
 “鶏が先か、卵が先か”と同様に、“感性は生まれつきか、後天性か”などが議論されますが、後天的に養われる
要素の強いものだと私は思っています。
 お稽古事を「楽しみでやっている」だけの発想は、技術訓練だけが中心となって感性を養うところまでは行けませ
ん。しかし現実には、技術修得だけに熱中する人の方が遙かに多いのです。稽古は技術と共に感性をも養う為のも
のだと考える人は、他の音楽のジャンルにも耳を傾け、巾広い視野を持とうとします。「此の道一筋」も結構ですが、
此の一筋の道は、すべての芸術に通ずる道にすることこそ大切だと思います。
              
21.
 
師走の事でもあり来る年を迎えるにあたって、太鼓のことを少し書いてみたいと思います。
 先日、祭衆の人達と「太鼓は
打つものか、それともたたくものか?」で話がはずみ、何の結論もないままになって、
それ以来、私にはそのことが心をとらえ、ずっとひきずって一ヶ月が過ぎるのですが、結論を出さなければならない問
題ではないのかも知れませんが、それでも気にかかることなので書くこととしました。
 祭衆と一緒に公演であちこち廻っていると、太鼓のグループの人達と出会い、グループの演奏を聞かせて頂く機会
も多くなりました。その度に感ずることが、実はこの問題で、太鼓を
打つより叩いていると感ずる度合いが多いのです。
 本来、太鼓の演奏はダイナミックで、その音の存在感が何より強く感じさせるものなのに、大勢の人の組太鼓なの
に、音の存在感が希薄なのです。これは打ち込む意識より、たたく行為に終始しているからではないでしょうか。
 私はもとより太鼓の演奏家ではありませんので、あまり偉そうな事は言えませんが、でもどこか、もどかしさがつき
まとうのです。
 かつて津軽三味線の名人と呼ばれる、高橋竹山と、木田林松栄の二人が「津軽三味線は
たたくものだ」と木田林
松栄が言えば、高橋竹山は、「三味線は
ひくものだ」と言ったことで大変有名な逸話があります。
 三味線は
ひくとはいっても撥で糸を打ち、炸裂音ですから弾ずる楽器です。したがって両者の言い分はどちらも正し
いのですが、木田林松栄は津軽三味線を従来の艶っぽく、女性的なイメージの楽器から、ダイナミックで男性的な楽
器として津軽三味線のイメージを作り出した点で大きな変革を三味線の世界に築いた名人ですし、高橋竹山は、ダイ
ナミズムより音色の美しさで演奏楽器として伴奏楽器から独立できる三味線の世界を創造した名人であり、それぞれ
歩んだ道は違っても、津軽三味線の世界を従来にない一つの音楽ジャンルとして創り上げた宗匠と言えましょう。
 太鼓は打つ楽器か、たたく楽器かの問いかけは、いづれも太鼓に必要な行為ですし、打ち込む太鼓奏者がおられ
ても当然だし、たたき込む奏者がおられても何の不思議もないものとは思います。
 でも打つ事の重さからすれば、たたくという事は技巧の軽さの様になります。相撲での基本が
押しにある様に、太
鼓の基本は
打つ事にあると思います。。強く大きく打つ事の出来る人は、静かに弱く打つ事も出来ますが、最初から
弱く打つ人は、決して強くは打てないものです。
 年が明けて、新しい気持ちで太鼓に向かう時、「この皮の破れるまで打ち込んでみよう」そんな気迫で太鼓と取り組
んで見て下さい。きっとよいチームが育つだろうと思います。
 いいお年をお迎え下さい。
22.
 
子供ごころがぬけないのか、何才{いくつ}になっても正月は晴々とした気分になって、何もかもが新しく目に映り、
さて今年も頑張ろうという気分になります。
 私にとって元日は、昔ながらの休日で、一日電話もかからず、ごろんとして過ごせる、一年間の骨休みの日で、この
日が一年間で一番充実した一日となるのが不思議です。多分。一年中をあまりにもあわただしく暮らしているためな
のかも知れません。
 12月号に、太鼓打ちの事を少し書きましたが、今年も年の始めに太鼓のことを書くことにしました。
 昨年十一月に、京都で「太鼓まつり」が企画され、和太鼓のサークルの人たちが参加して、皆で共通した課題曲
「三宅太鼓」を打っておられるのをしばらく見せてもらいました。それぞれのサークルが一つになって課題曲を打つ事
は、おたがいの連体感をつくる上でとても良い企画だし、各サークルが生き生きと参加しておられるのは、見ている方
も気持ちの良いものでした。ところが個々の打ち手を見ていると気になるところが見えてきます。
 大勢の人が和太鼓に取り組まれ、たくさんのサークルが誕生するのは結構なことなのですが、和太鼓の人気だけ
が先行してしまっていて、打ち手を育成する指導者が育ってなく、指導方法も確立されてなく、基本訓練が不完全で、
早く曲を打つ事、そして曲数を増やす事に追いかけられているように思えて気がかりです。
 和太鼓にとって撥の振り様はもっとも大切なことなのですが、各自まちまちで、もっと基本的な撥の振り方をマスター
して欲しいと思います。
 「振る」という言葉は、「手振り」「身振り」「振る舞い」とさまざまな行為の表現の基となるだけに、舞踏なども「振り」
に対しては大変厳しい眼が注がれますし、三味線を弾く場合にも「撥の振り」が先ず基本とされます。
 それは、美しい舞い姿や、美しい音を弾き出すのも、基本動作である振りで決まるからなのです。
 据え置きの打ち、斜打ち、横打ち、さまざまな太鼓の打ち方があり、それに合った撥さばきがありますが、とにもかく
にも打つ事だけが先行して、撥が皮にあたるまでの振りが意外と無頓着になってしまっている、そんな現象があちこち
でみられます。
 野球での良いバッターは、振りが鋭く、しかも早く、決してボールからめを離さない、など言われる様に、眼の位置と、
撥の振りは正しくなければ、良い太鼓は打てないと思います。音をだすまでの基本から、じっくりと取り組んで行く事が
良いチームを造ることにつながるようです。
23.
 
私が通っている長唄の稽古場では、新年の初稽古を「お弾{ひ}き始{ぞめ}」と言って、弟子全員が揃い、朝十時
から各自一曲ずつの演奏が続きます。たいへん厳粛な雰囲気につつまれた中で、新人から順次始められ、一曲ずつ
稽古場の先輩へと進行して、三十曲も過ぎる頃は外は暗くとっぷりと日が暮れています。
 長唄やその三味線が好きな者でなければとても耐え切れない程の長帳場です。
 稽古事の厳粛さは、こうした新年の初稽古の中に集約されていて、長時間の中で何かを見出して帰る人と、ただぼ
んやりと聞いて帰ってしまう人とでは一年後には芸の中味に格差となって出てきます。この格差は、短期間の内に驚
くほど上達される人と、何十年も通いながら何の変化も現れない人となって現れます。
 稽古場での厳粛な稽古時間を耐えるという事は、大変な苦痛を伴います。昨今の日常生活は多忙な時間のやりくり
で成り立っています。そんな中で、時間をまるで無視した様な稽古は、もはや成り立たないようになってきていますが、
日本の文化を思うと、耐える心構えから生み出された点が、ずい分とあるようです。
 一次産業の歴史が長い国ほど多様な文化をもっています。日本でも造り出されたものに対して、造り手への思いや
りが例え米一つをも無駄にしてはならないと言った、物を大切に扱う心を育んできたのですが、敗戦と共にがらりと変
わり、物が量産される程、使い捨てが美徳となり始め、経済効率が優先されて、人の心の中にあった、ものを大切に
扱う気構えを失わせ、同時に耐える我慢強さをも無くして行きました。
 先進国を見習え追いつけの生きざまは、かつて明治維新に西欧文明を取り入れることに躍起となった事と似て、振
り返れば、我が国の大切な文化を捨てることがもっとも先端を行く人となってしまっています。
 置き去りにされつつある民族文化や芸能をもっと大切にすることを今もう一度考え直すところへ来ている様です。
こんなことを書くと、すぐ保存意識が出てきますが、保存も必要ですが、文化が生み出されてきた原点をもう一度見つ
め、現代という時代や社会を背景に、新しい私達の文化をおのおのの立場から再創造する事が大切で、流行{はや}
って来たから「まねる」のでなく、伝統音楽であっても、自分の思想や哲学を表現するには、どうしてもこの方法でな
ければ・・・・・、といった創造的な姿勢が必要な時代に入っている様です。
24.
 
私の住んでいる宇治山田で、この程「平等院」と「宇治上神社」が世界文化遺産の指定を受けました。宇治上神社
は平安時代後期から鎌倉時代の建築で、現存する神社としては最古のものとされています。この宇治上神社は田楽
や散楽の座の人々の鎮守神として信仰を集めていた、いわば芸能の神様でもあったのですが、指定を受けるまで
は、神社の門は硬く閉ざされていて、拝観もままならず、尋ねる人も少なく、垣根の間からのぞき見ることがやっとと
いった、まったく見捨てられた様な国宝でしたが、今度の指定で社務所も出来、誰もが簡単に拝観出来る様になりま
した。
 さて日本では芸能と呼ばれるものの種類に伝統音楽、演戯、映画、寄せ芸など多く、それにたずさわるプロを芸能
人と呼び芸術家という見方はされません。一方、西洋のクラシック音楽に身を置くプロは音楽家とされアーチスト扱い
となっている不思議な国です。これは芸能の成り立ちが自然発生的な要素が強く、もともと素人集団で、自然災害か
ら農耕をまもり、また狩猟や作業が無事であるよう祈ったり、家族が、あるいは共同体である村落が無事反映するよ
うにと神々への祈願と信仰がその根底にあり保持されて来たもので、やがて素人集団の中から専門的に音楽や、
舞踏、演劇などで身を立てる人たちが現れたのです。
 出雲の女歌舞伎阿国{おくに}の出現以来、芸能人は河原乞食と軽蔑されて来た経緯は第二次世界大戦後まで続
いています。他方明治以降の先進国ヨーロッパに学べの方針は、教育の中に顕著に現れ、西欧式音楽を学ぶことの
みをよしとしたところに原因が有るようです。
 信仰を基盤に保持されてきた芸能も、科学中心の現代社会では信仰から離れ、娯楽的な見世物、あるいは観光資
源となってきています。
 私達の周辺でも、民族音楽から芸能を学ぶといった姿勢は希薄になり、自分の嗜好を満足させる同好の志の社交
場へと変節しつつあります。
 和太鼓が演奏される魅力を私が初めて感じたのは少年時代、映画「無法松の一生」で板東妻三郎が小倉太鼓を打
つ映像からでした。その時和太鼓がたいへん身近な存在として心に残ったのですが、それから五十年も過ぎて、よう
やく和太鼓が私達の手近なところまでやって来たという感じがします。和太鼓が現在の様に一つの音楽ジャンルにま
で進出してきたのはほんの数年前からです。
 芸能が集団表現で始まったように、今の和太鼓も集団演奏が中心で、そのかぎりでは大変よく似た形態です。芸能
が集団発生であるのに対し、芸術は個人の創造的発想です。ぼちぼち和太鼓奏者のなかからソリストが現れて来て
もいいのではないでしょうか。
25.
 二月の下旬であれば雪も多いのでは、と祭衆と演出家の金子氏とで、山形県の最上川へ行き、雪のなか、川くだり
をしてみました。
 これは、今度の私のリサイタルに「最上川舟歌」をレパートリーの一つに加え、パーソナルな和太鼓との攻め合いを
してみたいといった思いつきがあって、和太鼓で雪の世界を表現していただき、舟歌を折り込んでみたい、そのために
は実際に雪の中の最上川で舟に乗ってみることで、より実感を伴ったものが創られるのではないかと出かけたのです。
 私は人からよく「油絵を描いていて、何故民謡を唄うのですか」と聞かれます。
 日本画ならなんとか納得がいくらしいのですが、しかしわたしにとっては、描く材料が油絵具というだけで、モチーフ
は日本の風景であり、人物なら日本人です。何の違和感もないのです。それどころか、風景であれば、現地へ行くこと
で、その土地や、人々の暮らしの中にある文化にふれることで、行く先々の土地柄が良く解り、表面的なお土産絵に
ならずに描けるように思うのです。民謡も、唄の背景にひそんでいる、日本人の生活感や考え方を知ることで、日本文
化の再発見になったりします。そんな事が絵と民謡とを結びつけているのだと思います。
 今回のリサイタルでの曲は、どれも現地へ行った事でその土地の匂いを肌で感じてきた曲ばかりですし、京都の民
謡も、私の住んでいる、宇治から淀川ぞいの曲で構成しております。自分が住みなれ、見なれている場所の唄はやは
り一番表現しやすく、また生活感が理解出来るのです。
 今回のリサイタルでは、民謡界からは邪道といわれることも試みてみました。それは挑戦するという強気ことからで
はなく、自然なまま、晴れ着姿でなくふだん着の唄も唄ってみたいと思い、ある時は鼻唄風の物があったり、ある時は
洋楽器の伴奏で唄ってみる、そんなことがあっても良いのではないかと思い、あえて本道ではなく、野にくだって、在野
の立場で自由に親しみのあるあたたかい唄を唄ってみたいと思い「野のうたをうたう」というタイトルをつけました。
 祭衆の皆さんはいうに及ばず、マリンバ、サックス、フルート、ギター、などそれぞれの伴奏者に加え現代詩やその
朗読などを折り込んで、楽しいリサイタルに作り上げたいと思っております。
 どうか、一人でも多くの人々にお聴き頂きたく思っておりますので、お友達、お知り合い、おさそいの上お越しください
ます様お願いいたします。
26.
 
舞台で何かを演ずる事を職業としている人、いわゆる舞台人と呼ばれる人の芸談などの中に、舞台へ出演している
時の失敗談があります。その内容はさまざまですが、殆ど観客には解らないように、上手く切り抜けているもので、催
しが中断されるなどはまずありません。名優と言われる人でさえ「舞台では上がります」と語られるのが多いものです。
 まして素人であればあたりまえで、舞台へ出るだけで、動悸が打って頭の中が真白になる人や、稽古では上手く出
来ていたのに、予想外の失敗で泣く人など見かけます。
 自分の出番の前に。舞台の袖で誰かに背中を「ポン」と叩いてもらう人や、自分の掌に「人」という文字を指で書い
て、それを飲み込む仕草をして登場する人などさまざまです。
 開幕の合図を舞台監督から送られ、幕の上がる一瞬は確かに緊張に足もすくみます。「舞台は魔物」とも言われま
すが、非日常的な場所ですから緊張するのは当然です。舞台にあがっている間、自分が何をやっているのかさえ解ら
なくなる程上がってしまい、いつもの稽古の半分も出来なかったと思う人も結構おられます。
 舞台になれている人でも、多少の失敗はあるものですが、失敗を瞬時につくろって客席には何もなかった様に見せ
るのはその人の心の余裕です。
 心に余裕が出来るのは、日頃の練習方法です。練習が大雑把ですと、細部に自信が持てず不安が次第にふくらん
できます。細部に渡って確実な稽古を積んでおくと、意外と舞台では上がらないものです。
 結局舞台で上がるというのは、どこかに不安が有って、自信がゆらいで来た時のようです。ですから、自信を身体に
植えつける稽古を積む事が、舞台で平常心で居られる事になりますし、心に余裕を持つ事にもなりそうです。
              
27.
 『祭り太鼓』の原稿だと思うと、どうしても太鼓を打つ人達を想定して書くことになってしまいます。
 和太鼓奏者でもない私ですから、門外漢の書く感想程度になり、和太鼓に取り組んでいる人からもれば、痒いところ
に手のとどかぬもどかしさがあるのではないか、そんな不安が多少はあります。
 カラオケブームになって久しく、行くとこ行くとで唄を聞かされます。マイクを手に多少酔いも手伝って、得意になって
唄っている人は、一節が終わる度に送られる、おつきあいの拍手に乗って、二節目を唄い始めます。聞かされる方
は、何の感動もないのに、ただ義理で拍手をしているのに過ぎません。
 過日あるスナックで知り合いと話し込んでいて、拍手を忘れていたところ、唄い手から「礼儀を知らない」と叱られ
て驚きました。下手でも拍手をしてもらえる世界があって、しかも気楽にそういう場に行き、マイクを手にすることが
出来るのは、結構なことかも知れません。何の拘束も受けず、一人で楽しんで、見ず知らずの人から拍手をしてもらえ
る世界、これは個人主義的風潮の社会現象の昨今、打ってつけの場でもあります。自分の好きな時に自由に行け
て、一人楽しんで帰れる遊び、それも芸能の世界の中にあるのですから、遊ぶ人には結構な世界です。
 それにくらべれば、何人かが一組とならなければ出来ない芸能は大変です。定められた日時に稽古場に行かな
ければ、メンバーの人たちに迷惑をかけてしまいます。多少気が進まなくとも行かなければ稽古が成り立ちません。
 昨今の、気楽に気の向くままの一人遊びがあると、面倒なことは出来るだけさけるといった傾向が強くなります。
 皆で協力し合い、努力を積み重ねていかなければ完成しない様な事柄は、なかなか前進して行きません。
 一人欠け、二人欠けの稽古になって行き、集まる人の顔ぶれが決まってきます。サークルの年数が古くなる程、この
傾向はつよくなります。
 「根気よく休まずに続けることが大切です」とは言ってみても、実際の稽古がマンネリ化してくると去って行く人が出て
きます。
 サークルの結成時の新鮮でワクワクする気持ちを維持することは、とても難しい事ですが、それを忘れてしまっては
困ります。
 稽古の中身がいつも新鮮であることは、次の稽古日が待ち遠しくなるものです。
 今の和太鼓は集団演奏が中心ですから、メンバーの中から落ちこぼれを出さない様、皆で工夫し合う事が大切で、
それには各自の技術向上の課題や、サークル全体としての課題などを掘り起こし、問題提起された事をやりこなす
目標を定めて、皆で取組み、活気のあるサークルにする事が何よりも大切でしょう。
28.
 
小学校も五年生の頃は、殆ど毎日といっていいほど。京都の上空をアメリカの飛行機が飛来して、学校ではそのた
びに授業は出来ず、集団下校となってしまいました。
 男子は大人になれば兵隊になる事が当然と決められていた社会の中で、元々身体の丈夫でない私は、体育は苦
手で、理由をつけては見学という形のずる休みをしていました。音楽や絵の時間となると元気づいて大ハッスル出来
ただけに、兵隊に対する苦手意識だけはぬぐいきれませんでした。「そんなことでは兵隊になれないぞ」とよく言われ
ましたが、兵隊になる意外の職業が選べないのか、と子供心に悩んでいたものです。そんなある日、授業中に空襲
警報で学校の防空壕へ避難した時、先生に「こんなに空襲があっても日本は勝っているのですか?」と尋ねたら、た
ちまち校長室に呼ばれ、「お前は非国民だ」と校長からしかられ、「我が国は神国だから、必ず勝つのだ」などと長々
お説教をくらってしまいました。
 全体主義で個人の自由など認められていなかった戦争中の一番いやな思い出で、今でも時折思い起こします。
 戦後、中学校へ進んだ時は、先生方の数も少なく、かつて学者になる事を志していた人たちが、やむなく軍隊生活
を強いられ、復員者となって帰ってきても、学問がすぐには続けられず、とりあえず中学校の教員となるといった状況
があり、私にとっては良い先生方に恵まれた中学時代で、彼等は文部省の定めた方針とは無関係の授業を私達に
行ってくれました。
 主権在民といった言葉で民主主義を教えるのではなく、
「黙っていて解ってもらおうとするな、これは民主主義の根本だ」
 この言葉は、強い印象となって私の中に焼き付きました。難しい理屈以上に解りやすい言葉で、私の心を解放して
くれました。「自分の見たいものを、見たい様に見て描く、これが絵画だ」
 束縛されない自由、これが保証されて初めて、多様な文化が育まれてきます。
 戦争中の全体主義で統一された社会からは、類型的なアジテーション文化しか生まれてきません。精神の解放が
あって初めて多様な文化が芽をふき出すのです。
 現在の文化ラッシュ(善し悪しは別)を思う時、平和な時代の有難さを痛感せざるを得ません。とは言っても、戦後の
五〇年、ほとんど経済復興にのみ日本中が集中してきただけに、雑多なバブル文化もたくさんあります。これからが、
本物と言われるものを育んでいく時代となるのでしょう。
               
29.
 「民謡を唄ってみませんか?」とすすめると、「民謡は高い声が出ないと、どうも・・・」とか、「民謡は難しいので・・・」
といった言葉が返ってきます。
 一時期民謡ブームがあって、ラジオやテレビで盛んに放送され、その都度プロの民謡歌手の登場で、それも高く張り
のある声の持ち主が中心となっての番組が構成されていたことも手伝って、いつしか民謡は高い声で唄わなければ駄
目だといった考えが定着してしまいました。
 私たちが日常会話で使っている声は、十人十色で、それぞれその人の骨格や、筋肉の付き方など身体の特徴で声
の色合いも変わりますし、また生活習慣や性格、職業によっても発声の仕方や、声質に違いが出てきます。
 俳優が悪人を演ずるのに、凄みのある声を出したり、意地悪の女を演ずる女優は、人にきらわれるような声を出した
りします。
 生活習慣から表れる声を概念的に造り上げて演じられるのですが、いかにも真実味を帯びて聞こえます。
 職業から見れば、漁師は潮がら声で艶気の少ない声質で瞬発力のある声が特徴です。農民は、凸凹の少ない野良
声で、日なた臭い緊張感の少ない声質です。
 商人はといえば、地域にもよりますが、艶っぽさと粋を持っていますし、都会的でもあります。
 民謡はこうした、様々な職業の中で唄われてきた音楽ですから、美声とか高い声のこなせる人だけのものでは決し
てないのです。日本人なら、誰でも日本の民謡は唄えます。民謡はプロの唄い方をまねるより、民謡が唄われてきた
背景を知ることの方が楽しく、面白くて、そこに日本人の物の考え方や生きざまなど、文化を知る事が出来る楽しさに
魅力を持てば、興味が生きてきます。
 このことは、民謡だけでなく、楽器(民俗音楽)についてもいえることです。
 日本人は自然の中で発声する音を雑音としてとらえず、その疑似音を曲の中で生かそうとします。
 涼しい音、逆に暑苦しい音、風の音や川のせせらぎ、滝の流れ落ちる音や海の男波女波の音、数え上げればきり
のない程の自然現象を表す疑似音から、人間の内面を表現する音、勇壮な音や優雅な音、激しい情熱を表現する音
やリズムなど様々です。
 音の表情を表す言葉として日本では、音色と言う言葉を大切にします。
 和太鼓といえば、個人で所有する事がなかなか難しく、太鼓の種類を多く、音色を試す機会も少なく、与えられた楽
器の枠の中だけで、という事になりがちです。でも一歩踏み出すことで、演奏への考え方が変わります。
 楽譜通りを覚え、間違いなく演奏する事だけに一生懸命の演奏から、音の表情を観客にどうして伝えるのか、そんな
事なども考えて演奏する、そこに和太鼓の魅力を見つけてみるのも、楽しみを倍増させる方法だと思います。
30.
 肌にようやく秋の気配を感ずる、九月十三日の夜、京都市内にある下御霊神社の境内で、篝火がたかれ、巫女の
舞う舞拝殿で、祭衆の演奏が催されました。舞拝殿をとり囲む楠の巨木や松の老木が音を境外へ散らさず、劇場と
は違った暖かいやさしさを感じさせ、篝火の中で打たれる太鼓は幻想的で、しかも神秘性を帯びて聴く者を無限の
世界へ導いて行く様子が良く解るのです。
 境内の、しかも巫女が神楽を舞う拝殿での演奏は、まるで奉納の様でもあり、和太鼓にとっては、最もふさわしい演
奏の場でもあるのだと痛感させられました。京都では、しばしば寺院の庭や神社の境内での民俗音楽の演奏会が行
われます。入場者数は限られ、試演会的になりますが、自然の中で聞く音は民俗音楽に最も適した場でもあり、演奏
者の考え方なども良く伝わってきて感銘を受けるものです。
 もともと民俗音楽は野外の芸能として伝来されてきたものですから、自然のたたずまいの中で見聞できるのが理に
かなっているのでしょうが、今ではホールのステージで音楽は演奏されるのが当然のようになってしまっています。
演奏者の方も、「出来るだけ大勢の観客動員を」と願うところもあるのでしょう。
 時には試演会のようになってもいいから、自然の中へ還ってみるのも、自分をみつめる良い機会となるのではない
でしょうか。
 生活様式が変わり、全国どこでも都市化現象で均一化されてきていますから、屋外の音は何であれ雑音としてしか
扱われなくなり、「騒々しい」「迷惑だ」だけが返ってきます。最近建てられた、多目的ホールでも、他の催しに影響する
からとの理由で和太鼓の演奏に制約が加えられたりし、自由に表現する場さえ限定されてきています。
 自然を大切に、文化財を大切にと言っている裏に、それを生かしていく心を失っている様に思えてなりません。
 それと、演奏会を観る側にも、辛抱強く我慢する根気がなくなってきています。カラオケ全盛という事なのか、生活の
多忙さなのか、一曲の演奏が三分を超えると退屈になり「長すぎる」と批判されます。演奏者の力量にも問題はあり
ますが、演奏会が二時間となると「もう長い」となり、三〇分短縮しては、ということになりかねません。こうした傾向は
観客の幼児化なのでしょうか。私の子どもの頃は、観劇などの日は前日から弁当の準備に始まり、当日は一日がか
りで芝居見物でした。前日から心わくわくさせた昔と、仕事が済み次第駆け付けて、時間ぎりぎりに劇場へ入るせわ
しなさ。こんな現状の中にある文化。これではバブル文化しかうまれません。もう少し心にゆとりを持つ事が、観る側
にも必要なようです。

 長い間音楽論とも文化論ともつかぬ、愚論を書かせて頂きましたが、しばらくお休みを頂き、新しい企画を進めて
いただくこととなりました。
 私自身、民俗音楽に関する勉強をまだまだしなければと思っております。再びこのページを担当する時、少しでも
皆様方のお役に立てる様勉強しておきたく思います。
 皆様方の益々の御活躍を心からお祈りして一旦筆を置かせて頂きます         合掌
 


※ “祭り太鼓” 1992年(H.4.)11.5.より 

 斉藤満温 リ サ イ タ ル
  「みつはるはうたう京の里唄」見聞録
                      
民謡評論家
 竹内 勉

 
二年ぶりで斉藤満温さんの唄を聞いた。「八丈太鼓ばやし」(東京)と「夜神楽せり唄」(宮崎)の声を聞いて
「あァ、やっと声が出来た。しなやかで、腰のある声が出来た。これからはこの声で唄えばいい・・・・・よかった」と。
そしてその次に、独学は歳月という高い月謝を取るなァともとも思った。これが今回の公演の全てである。
 あとはつけたしで、私のひとりごとか、自分の生き方へへの反省か。それを斉藤満温さんの生き方に重ねてみた。
 京都以外の唄は手本があるので、その型を真似る力がみにつくと、唄としての形は整う。しかし、見本のない
京の唄になると、どう仕立てるか、気負いもあってだろうが、材料を扱いかねているように見える。
 これから抜け出すには、編曲のできる伴奏者にめぐり逢うことと、知恵を借りる人材にどうめぐり逢うかである。
これは音を扱う人にだけ逢っている間は無理で、むしろ他の分野から知恵を借りるしかないだろう。
それが見つかれば、自分の体の中にある、バラバラの意識が、生かせる方法がみつかる。
 そうした唄に対して、語りは立派なものであった。特に腰掛けての場合には、宇野重吉さんのような雰囲気が
あった公演がおわってから、本人自身が宇野さんに憧れたという話をしてくれたので、むべなるかなと思った。
 ただチョッとその語りで気になるのは、学校での公演が続いたせいか、教育的な感じが少し全面にでてくる
気がする。言い替えれば、芸には、笑いと色気とおどろおどろしたものが魅力となって、異性を、あるいは同性を
までをもひきつける。これは本能に訴える部分なのだろう。それがほしい。
これがないと、たいしゅうは、特に金を払う人たちは「斉藤満温さんの使命感はわかるけど、それを見にきたわけ
ではないから」と言う。この「使命感」をオブラートにくるむためのこの修業がいる。真面目人間斉藤満温としては、
一番苦手の部分である「人生を遊ぶ」「舞台を遊ぶ」「芸を遊ぶ」いろいろな言い方をするが上手にやりたい、
恥を聞きたくない、がんばらねば・・・・・を脇に置いても、そこそこにやれる自信がつかないかぎりは無理である。
これは生きている人間には無理だから「たかが民謡」に思える余裕をどう作るか、である。これは「生きる」という
人生哲学を身につけるしかない。これが一生勉強の部分なのであろう。
 終りに太鼓の人達に一言(これは“祭り衆”だけでなく、全国の太鼓組方たちにである)「左は世界を征す」
これはボクシングの格言であるが、太鼓にも通じる。もう一つ、音の小さい部分、音のない部分、これを作って
生かさないと、それは暴走族の目立ちたい人たちの手段を、オートバイから太鼓に替えただけになる。
それともう一つ、太鼓を打つ位置、もう一度格好だけでなくて、どうすると太鼓の芯を打てるか、素直に考える
ことが要りはしないだろうか。例えば
「八丈太鼓ばやし」の稲田カエさんは、太鼓の位置をキッと低くして打っていたし、下拍子の奥山熊雄さんは、
脇役に徹して、上拍子の稲田さんをたてていた。今の太鼓の人たちは主役を競いあってはいないだろうか。
どれもこれも技術は大切だが、人間を作ること、これは技術以上に大切である。
 音はその人の全てが出てしまう。化粧のしょうはないと恐れることである。                           
                                                 民謡評論家 竹内 勉

★ 毎号、直筆の挿絵、風景を中心に、お祭りや花・静物画が描かれていたのですが、
  ここには五枚だけしか挿入してありません。
  (せっかく、太鼓センターさんに〔祭り太鼓〕の転記を許して頂きましたのに、この非礼をお許し下さい。)

 パソコンに取り込んでみて、、、後の25枚をそのままにしておくのが惜しくなりました。
  機会をみて、「ぼつぼつ増やしていこうかな」とも考えております。

                                     井上洋子


 1p 八丈太鼓 の 由来 top  2p 八丈太鼓 由来の 「 個人的考察 」  3p 「 由来 以外 」 の 八丈太鼓
 4p 「 八多化 の 寝覺艸 」  5p 「 近藤富三 」 と 「 鶴窓帰山 」  6p 各種文献から 興味深い記録
 7p 「 昔 の 八丈島 」 について   八丈島を訪れた 四人 と 一団体  ある機関誌より − 転記


 へん子の日記  紅陶庵  あが八丈太鼓  八丈島の太鼓  八丈太鼓と私  写真

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